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「今年はどうだ?」
「まぁまぁだな」
「まぁまぁか…」


悔しそうな夏侯惇の様子に、曹操は声を立てて笑った。
笑う曹操の前には、西域産の極めて珍しい素材で作られた玉杯がある。
最高品質の玉を磨きあげられた杯は、気品のある乳白色で、表面は奇跡のようにすべらかだ。
夏侯惇が曹操の誕生日を祝うために作らせたものである。
毎年律義に夏侯惇は曹操に祝い品を贈る。
すべては曹操に「これぞ儂が欲していたものよ!」という一言を言わせるためだが、その願いはすでに20年以上叶うことなく今に至って居る。


「そう気にするな夏侯惇。わしの一番欲しいものを贈ってきたものなど誰もいないのだ」


夏侯惇は唇を噛んだ。本当に悔しかったのだ。
曹操ほど孤独な男を夏侯惇は知らなかった。
誰も自分の望むものを持ちえない。
からかうように語っていながら、その瞳には一瞬寂しそうな子供のような光が宿る。
その目を見るとまるで、ここまで来てここまで来て、と呼ばれて居るような気がして心が酷く痛む。
本人に自覚のないものたがらなおさらだった。

主の私室を退室しながら、夏侯惇は過去を振り返る。
曹操は子供の時から才に長け、隠れ鬼などさせたら誰一人として彼を見つけることができなかった。
あまりにも見つからないので夏侯淵が泣き出すと、ひょっこりと悪童阿瞞が顔を出すのが幼き日の常であった。
だが夏侯惇は思うのだ。
あの時本当に泣きたかったのは誰であったのかと。

――あいつが一番望むものをやりたい。
他でもない自分がそれを与える存在でありたい。
俺にとってお前は特別たがら、俺もお前のそうでありたい。


そう言おうものなら、お前は俺を傲慢だと笑うだろうか。

幼稚だと馬鹿にするのだろうか。




□ ■ □




曹操は従兄弟が出ていった扉に視線を向けながら言った。

「どうせ何を持ってきても無駄だ」

そう言った彼の声には諦めと嘲りが含まれていた。
曹操は過去を思い出す。随分遠い記憶だ。
彼は年下の親族たちと遊んでいる。
隠れ鬼をして一番最後まで隠れているのはいつも自分だ。
鬼役の淵はあまりに曹操がみつからないのでぐずり出す。
その族弟の腕をしっかり掴んで、諦めず探し続けるのはいつも夏侯惇だった。

お前だけだ。
記憶の中の彼に告げる。

――この世で自分が一番望むものを贈ることができるのは、お前だけ。
けれどきっとお前だけは、絶対にそれに気付くことができない。
その事実をどうして現実のお前に言えようか。傷付けるだけだとわかっているのに。
曹操の欲しいものは決して手に入らないものだ。
それは彼が仮にこの世を統べる王になっても叶わない。
すべてがあまりに昔からわかりきっていること。

曹操の脳裏には幼い従兄弟の顔が鮮やかに浮かんでいた。


お前だけが、お前だけが――。


お前だけが欲しいのだ。


お前の、すべてが。



そう思い立った途端、曹操は笑い声をあげた。
部屋に響き渡る、高い、高い、哄笑。

しばらく笑い続けたあと、曹操は笑声をおさめた。
そして一切の感情が消えた表情で窓の外を眺める。

「……どうせ叶わぬならば」

外から部屋に、白い蝶が一羽迷い込んできた。
ひらひらと舞うその蝶を指に止め、一心に見つめながら口を開いた。
それは漲る覇気と諦観が入り交じった声だった。


「せめて天下くらいは儂のものにしようではないか・・・」




Fin

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湖面の月