名も知らぬ吸血鬼に仲間意識などさらさらないが、それでも同腹が死ぬ所を見に行くほど趣味は悪くない。




夏侯惇が出掛けた後、操は一人でソファに足を組んで座っていた。
元々人工的な光をあまり好まないため、夏侯惇がいない時は部屋を真っ暗にして過ごしている。
特に何をするでもなく、肘掛けに腕をついて思索にふける。
静かな夜。
それでもきっとどこかの同胞が誰かの首筋の血を啜り、その吸血鬼を殺すために狩人達が牙を研ぐ夜――。




操はうっすらと青く光る瞳を開いた。


「――ケか」


ゆっくりと部屋の影が大きくなり、その影がぱっくりと割れた。
影から現れたのは、美形揃いの吸血鬼の中でも一際美しい秀麗な面差しの吸血鬼。
色素の薄い髪、瞳は暗闇の中トパーズ色に輝いている。


「殿」


そして、その吸血鬼の声は背筋をぞくりとさせる程甘かった。


「久しいなケ」


その麗しい吸血鬼の名は荀ケと言った。


「…殿。貴方という方は領主でありながら領地を離れて何をやっているかと思えば…」


端正な面を憂いに染める部下に、あっけらかんと操は答えた。


「問題あるまい?吸血鬼が人に惚れるなんてそれほど珍しいことでもあるまいし。お前だって人間は気に入ってるではないか」


実は古から吸血鬼と人との恋は数え切れないほどある。
永遠の時を生きる長命種と、刹那の時を生きる短命種。
相容れぬ性質を持ちながら、その相容れぬ部分に神秘的な魅力を感じ惹かれあってしまうものらしい。
もっとも過激な保守派や貴族階級にとってはこれらについては言語道断な出来事である。
しかし生憎と操とケはそのような古臭い考え持つ吸血鬼達と袂を分けていた。
二人はいっそ愚かな過ちを繰り返しながらも、ひたすら進化を求めて行く人という人間を好ましく思っていた。
2人は吸血鬼の世界で言う、いわゆる穏健派、親人派だった。


「…けれど、よりによって狩人に恋をした吸血鬼など聞いたことがございません」

「儂も無いぞ!」


カラカラと楽しそうに操が笑う。


「だが、たまには儂のような酔狂な吸血鬼が居ても良いではないか。所詮人など100年程度の命。我らにとっては光の早さで流れる時よ。それくらい儂の好きにして良かろう?」

「まだ私たち出会って一年もたってないのに何をおっしゃってるんですか…。そもそもこんな所にいなくても、あの人間を吸血鬼にしてしまえばすぐに済む話でしょうに」


ため息をついたケに、操はそっと目を逸す。


「殿?」

「……わかっている。が…」

――あやつを吸血鬼にしたくない。

主から聞かされた言葉に、ケは驚きを隠せなかった。


吸血鬼にとって欲情と吸血欲、執着と支配欲は切っても切れない。
吸血鬼が恋情を覚えれば、その者の首筋に牙を立てて身も心も所有する。
それが吸血鬼の本能だ。その本能を拒絶する操は吸血鬼の中では異端――。
だが一瞬の驚きから立ち直ったケは、操に優しく微笑みながら抱き締めた。


「殿は本当にあの人間のことを愛しておられるのですね。…私たちの種族にしては珍しくも真剣に思い悩むほどに」


吸血鬼は至極理性的なでありながら、悩み知らずの種族である。
それは強い執着や激情とは無縁であることを指す。
常にスマートさを求める彼らにとって煩悶などは無駄なことで、欲しい物はすぐに手に入れるのが習性だ。
また相手に礼を損なうことを至上の悪徳とするが、それは同じ吸血鬼の間だけだ。
人間はその礼の範疇ではない。例え人間に好感情を持っているケですら、心から人間と吸血鬼を同じように扱うことは難しい。
それでもこの主は人間を対等に見て悩んでいる。
それはこの主の他の吸血鬼にはない美徳だ。そしてきっとそれは主とケが目指すものに役立つ。
そっと抱き締めた主を放す。


「…わかりました。100年程度ならば領地は私1人でなんとかなりましょう。ただしこれだけは約束してください」


屈んで目線を合わせたイクの真剣な瞳が操を射る。


「絶対に死なないでください」


――貴方は私と供に、人と吸血鬼が共存する世界を作る方なのですから。


そう言ってケはちらりと玄関を見る。
彼は優雅に一礼して暇乞いをする。


「それでは殿、私はこの辺りで失礼します。――それと悪来と虎痴が寂しがっています。たまには領地に戻られますよう」


そう言い残すと、世にも麗しい吸血鬼は闇に消えた。


直後玄関のドアが開いた。


「ただいま……ん?」


部屋の空気に違和感を覚えたのか隻眼の吸血鬼ハンターは眉を潜めたが、すぐに気を取り直したようにパンパンに膨れ上がった買い物袋をテーブルに置く。


「待たせたな。すぐに飯をつくる」


今夜はすき焼だ。楽しそうに告げる狩人は何故かいくら否定しても吸血鬼も人と同じように腹が減るものだと信じて疑わない。
食材を袋から取り出す夏侯惇の背中に操は抱き付いた。


「…おい、どうした?」


優しい声が上から聞こえる。
ケに気付かれた。
自分がこの男になら殺されてもかまわないと思っていることを。
何故この狩人が吸血鬼である操に優しく接するのか。
それがすべて操を油断させるためで、虎視眈々とこの心臓に銀の鉛を撃ちこむことを狙っているのなら――自分は多分その時が来ても抵抗しない。

むしろこの男に殺されるのは幸せなことかもしれない。

そう考えたところで自分は異常だと強く思う。
首に牙をたてる機会を狙うどころか、殺されることを望む吸血鬼なんて聞いたことがない。
ただどうしようもなくこの人間に惹かれていた。こんなにも訳が分からないほど強く引きつけられる自分はおかしいに違いなかった。

頭上で苦笑する気配がした。

――まったく仕様がない奴だな。

体をこちらに向けた夏侯惇が操を抱き締める。
その広い背中にすがるように操が強く抱き付く。

夏侯惇の服からほのかに同族の血の匂いが香った。


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08.9.6