電気の光を嫌うため、操は蝋燭を灯して本を読んでいた。夏侯惇は仕事で外に出ている。
暗い部屋で蝋燭だけなんて目を悪くすると夏侯惇は良い顔をしなかったが、生憎と吸血鬼の視力が後天的に悪くなったという話を操は聞いたことがなかった。
膝の上に本を乗せ静かに字を追っていると、突然本のページが風もないのにパラパラと捲れた。
操は青い目を光らせて窓の側に立ち、勢い良くカーテンを引いた。

「…また能力の無駄遣いをしているな」

そこに居たのは高い襟を立てたコートにヒラヒラのブラウスと言うまるで中世のヨーロッパ人のような格好をした男だった。
異様なのは身なりだけではない。その男は自慢げに髭を撫でながら宙に浮いていた。

「見たか。高貴なる血は土すら踏まず歩くことができる!」
「夜逃げには便利そうよな」
「なんだと!?」

男は「お主はいつも私を馬鹿にしてぇぇ!!」と叫んで地団駄を踏む。もっとも地面がないのでその図もどこか滑稽である。

「で、何をしに来たのだ。紹よ」
「何をしに?…ふん。貴様を連れ戻しに決まっているであろう。操」

そう言って吸血鬼の貴族の中でも名門と名高い袁家の嫡男は当然とばかりに宣言した。

「後ろ盾のないお主が領主につけたのは、この偉大なる純血貴族たる私の推薦あってのことよ。それを放りなげて、人間なんぞと暮らしているとは何ごとか!」

「それについては家臣にもう話してあるわ。貴様の出る幕ではない。早く領地に帰れ」

「この地域の領主は私だ。馬鹿者!!そもそもなんだ、その言い草はぁぁ!この私直々にきてやったというのに!!!」

眦を吊り上げた、紹がきゃんきゃんと騒ぐ。
こやつ吸血鬼の、それも上級貴族のくせになんとおせっかいな性格をしているのだ。
操は耳を押さえながら嘆息した。
操も変わり者だが、紹も負けず劣らずの変わり者である。
何ごとにもドライな吸血鬼にしては珍しく紹は熱い。人間を嫌っているくせに誰よりも人間に近い性格をしていると気付いていないのは本人くらいなものだろう。
うんざりと下を向いていた操は、紹の手がある動作をしていたことに気づかなかった。

「まったく何を後生大事に腹の中に隠しているのかと思えば……」

はっと紹の手の中を見れば、操の顔色がはっきりと変わる。
触れる事無く操の腹から抜き取られたそれは、紹の手の上で白く発光していた。

「返せっ!!」

「ふん…たかだか人間の左目ごときに…」

なりふり構わず手を伸ばして操は奪還する。
それを大切に抱き込むようにして、操は男を睨んだ、
その様子に紹は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「うっとうしいくらい生命力に満ちた人間の気配がすると思えば…まさかあの人間の一部を体内に取り込んで、力を与えていたのか?操よ。――あぁ誇り高い吸血鬼がなんと愚かな!嘆かわしい!!」

「煩い。ほっとけ!!」

「お前がこんなことをしているのは、その人間が左目を負傷しているからか。心配だからか」

「……」

「…わかっているのか?お前の人間へのその情のせいで、我が同胞達がその男に殺されるのだぞ?」

「……あぁ」

その返答を聞いて、紹の瞳に真剣な怒りの色が宿る。

「貴様…っ!」

紹が操に手を伸ばす。胸倉を掴まれると思っていたら、予想に反して腕を取られた。

「貴様を領主に推したのは私の過ちであったか…!貴様は何が何でも連れて帰る!!」

ぐいぐいと強く腕を引かれる。操は慌てた。紹は忘れているようだが操は高く跳ぶことは出来るが、浮くことは出来ない。

「紹、待っ……」

操が止めようとする前に、空気を切り裂く銃声が響いた。
>振り向けばぞっとするくらい冷たい瞳をした夏侯惇が紹に銃口を向けていた。

「操から手を離せ」

刃物のように鋭く、燃えるような敵意を滲ませた声で脅すと、もう一度銀の銃弾が紹の側を駆けた。

「夏侯惇。やめよ!こ奴は儂の友人だ!!」

操が夏侯惇を止めようとする。
しかし夏侯惇は聞く耳を持たないようで銃を向けたまま迫ってくる。
夏侯惇のただならぬ空気に、操は青褪めて振り返った。

「紹!退け」

「馬鹿なことを」

「頼む!退いてくれ」

今にも赤い瞳を光らせて隻眼の狩人に襲いかかろうしていた紹は、友人に懇願されて怯んだ。
彼は舌打ちすると、コートを大きく翻す。

「一つ貸しだぞ。操よ!」

言葉だけを残して、純血の吸血鬼は姿を消した。
操はほっと安堵の息を吐く。力が抜けてぺたんとベランダに座り込んだ。
その体を夏侯惇に抱き締められた。

「止めよ!」

操はもがいて、夏侯惇の腕の中から逃れようとする。
だが抵抗すればするほど、夏侯惇の腕に力が入る。操はあばら骨が圧迫されるのを感じて息をつめる。
嫌がる操の耳に夏侯惇が小さく囁いた。

「…お前まで、奪われたくない」

――もう喪うのは御免だ。

低く悲痛な夏侯惇の言葉。
まるで血反吐を吐くような必死さ。
その言葉に操は抵抗を止めて、そして――納得した。
ずっと疑問だったのだ。何故この男が敵である自分そばにおくのか。彼の時々みせる狂気めいた強い独占欲はなんなのか。

――そうか、この男は置いていかれることに臆しているのか。

初めて会った時の、甘い香りを思い出す。どこまでも甘美な夏侯惇の血の匂い。操を呪縛しるように惹きつけた香り。
だがそれ以上に惹かれたものがある。
それはこの男の激しい絶望と悲壮。紹は例外的に吸血鬼にしては気性が激しい方だが、それでもたいがいの吸血鬼の情操は薄い。
夏侯惇のような自我を忘れるような激情は、操にとって初めて目のあたりにしたものだ。その激情は奇異であると思った。だが――とても愛しいと感じた。この男が愛しいと。


「…骨が折れる。腕を離せ夏侯惇」

夏侯惇はゆっくり操を放した。
操はじっと夏侯惇を見つめて、膝立ちになって彼の頭を胸に抱き込んだ。
夏侯惇は驚いた顔をしている。操はふわりと笑った。


生きていたい。


ようやくわかった。何故この男が吸血鬼である自分を側に置くのか。
理由は操が夏侯惇より強いからだ。操が長命種だからだ。
夏侯惇より先に死なない。その一点だけで、夏侯惇は吸血鬼である操を許している。側にいる。

この男の為に生きたい。
以前のこの男になら殺されても良いという思いと同じくらい、否それ以上に強くそう思う。
操が夏侯惇の髪を梳いた。

「…共に、生きよう」

夏侯惇の肩がびくっと震えた。そして操の背中をかき抱いた。
操の背中に夏侯惇の指が食い込む。
操はただ優しく笑っていた。






Fin
08.11.10

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