落とされた海は身を切るように冷たかったが、胸では灼熱の憎悪が燃え滾っている。
周りに持て囃されていた容姿は、無残にも病によって爛れて崩れ、声もしわがれ、足腰も弱くなると、大人達は陰でこそこそと話を始めた。聡明な少年にはそれが何のための密談かすぐに察する事が出来た。だが頭では理解出来たが、心では否定したがっていた。
寒い、寒い、冬の日。
少年は血の繋がった者達に捨てられた。
ごめんね。ごめんね。と謝る彼らが陰で自分を呼んでいた名前を知っている。
化け物。
それが二つ目に両親から与えられた名前であった。
陽光はどんどん遠くなって、あたりが闇に染まっていく。
縛られ、身動きが出来ない少年は、ただただ考えていた。
あれほど幼い頃に自分を可愛がっていたのは、何だったのだろう。
毎年誕生日や行事の時に振舞われた、いつもよりちょっと豪華な料理。
ぎりぎりの生活の中で揃えてくれた勉強道具。
祭りの時に、迷わぬように繋がれた手。
少年の名前を呼ぶ親愛に満ちた優しい声。
それらは病によって、すべて奪われた。
愛されていたのは、外側が人らしかったから。
将来役に立つように、食べさせられていたに過ぎないのか。
それが短い生の中で得た、真実。
だが、何故こうも一方的に奪われなければならない?
学校では「人は与えたものを与え返さなければならない」と習った。都合の良い理屈だと思ったが、普通の子供に与えられるべきものを与えられていた時は、それも仕方ないかと了承していたのだ。
「きさま! ひでよし様のくにをけがすきか!?」
キンキンと高く響く声にうっそりと目を開く。だがすぐには声の主を見つける事ができなかった。世界の闇となって巨大になった姿に伴い広がった視界にとって、その存在はあまりに小さかった。
上半身は人間で下半身は魚。
絵本で見たことがある――人魚だ。
だが絵本と違って、グラマラナスな胸がない。色気がない。長い髪もない。代わりに、まろやかな頬、小さな鼻と口、すとんとくびれのない土管のような胴体。
子供の人魚なのだ。魚でいう稚魚。
そして子供にしてはやけに鋭い眼差しで睨んでくる。さらに生意気な事に、手には小さい剣を握っている。
馬鹿め。簡単に警戒を解くとは。馬鹿な子供は化け物に食べられるのだ。子供の背後に闇が忍び寄る。獣のように闇が口を開き、子供を一呑みするその寸前。
「さみしいのか?」
その時、闇に姿を変えていなければ、男は間の抜けた顔を晒すことになっていただろう。
子供は後ろを振り返って、今まさに自分に襲いかかろうとした闇に気づいたようだ。子供特有の無警戒さでぺたぺたと触ろうとする。
「や、やめぬか!」
襲おうとした本人が慌てて、闇を子供から遠ざける。そして、あまりに久方ぶりに自分が声を出した事に驚く。つい咄嗟に言葉が出てしまったのだ。
「あ、シダレヤナギ……」
どうやら闇が取り込んだ筈の草木の一部が露出していたらしい。ふわふわとそよぐそれが子供の関心を呼んだようだった。
くるりと子供が向き直る。その拍子に銀の髪がさらりと揺れ、髪の下から翡翠の瞳が覗いた。とても……とても綺麗な瞳だ。
「わたしとともに来い。ひでよし様と、はんべえ様におゆるしをもらうぞ。ともにこのうみでくらすゆるしをこうのだ」
男は予想外の事に絶句する。答えが返って来ない事に焦れた子供が詰め寄ってくる。 「こわくないぞ! だからいっしょにいくぞ! ぐずぐずするな! はやくこい!」
拙い言葉で言い募って、子供は闇の塊に手を伸ばす。
空振るはずの小さな手は、しっかりと包帯だらけの手を掴んでいた。
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