無双遁走

*今頃気づいたのか。この鈍感め





顔を傾けて、唇を合わせる。鼻と鼻がぶつからないように気をつけながら、舌を絡める。
相手の舌が誘いこむように引っ込むようなら相手の口内を蹂躙する。
逆に相手が舌を押し込んでくるようなら、自分の口内で弄ぶ。
まるで駆け引きのような奪い合う口付けを楽しみながら、ふと夏候惇はあることに気付いた。

「…っ…ふ……? どうした?」

呼吸を乱しながら、曹繰は突然動きが止った相手に尋ねる。
夏候惇は難しい顔をしながら腕を組んだ。

「……記憶がない…」
「はっ?」

曹繰は意味を掴みかねて声をあげる。
夏候惇は至極真面目な顔で口を開いた。

「お前以外とこんなに長い時間口を吸い合った記憶がまるでない」

一瞬硬直した曹繰は次の瞬間は弾けるように笑い出した。

「そのようなこと……やっと気付きおったかこの鈍感め!」

訳もわからず益々顔をしかめる夏侯惇の頬を曹操は両手で包む。


「今、お前の目の前にいる男は誰じゃ?」


上目づかいで問われた言葉に答えようとすると、唇に指をそっと置かれた。


「そうだ。そして三国一の房中術の使い手だ」

曹操は目を細めながら、上唇を妖しくなぞる。


「お前はその房中術の使い手を若い時から相手にしているのだ。そのあたりの妾風情の腰など一瞬の口吸いで砕いてしまうわ」

ふふっと楽しげに曹繰の唇が弧を描く。

「だから夏候将軍が数多の美女と枕を交わそうと、一番刺激的な夜は儂との褥だけ」

――・・・わかったら、さっさと続きをせぬか

耳元に吹き込まれた声には、理性を溶かす甘い響きを持っていた。
夏候惇は「すべては孟徳の掌の上か・・・」と肩をすくめながら、しなやかな体に挑みかかった。