遠くから見た時から怖そうな人だと思っていたが、近くでみるとますます怖そうな人だ。
眉間に深く刻まれた皺に、切れ長の瞳はこちらの一挙一動を叱責しているように鋭い。
姫は隣りに座る彼をちらりと窺う。
――この人がこれから自分の旦那様となる方。
晴れやかな、それでいて厳かな祝言の最中、姫の胸はときめきとは違う意味でドキドキしていた。
この人と上手くやっていけるだろうか。緊張のあまり震え出しそうな手を押さえ、ぎゅっと唇を強く結んだ。
その様子をちらりと横から見られた気がしたが、綿帽子の下のことなどわかるはずがないので気のせいだったのだろう。


姫と彼は親戚関係であった。
と言っても少し男嫌いな所があった姫は自ら彼に話かけられたことはない。彼からも特に話しかけられたこともなかったので顔は何度かあわせたことがあるものの、挨拶程度しか言葉を交わしたことがない。
夜の帳が落ちて、ぼんやりと灯籠の炎だけが光る。
これから初夜を迎える。
かたんと小さな音を立てて襖が開いた。
現れたのは当然、先程式をあげた姫の夫だ。
彼は閨に入っても厳しい顔つきのまま――褥の上に正座した。

「――島津豊久と言う。これから宜しく頼む」

姫は慌てて三つ指をついて頭を下げた。

「こ、こちらこそ宜しくお願いします。私のことはとお呼びくださいませ」

「あぁ」

「……」

「……」

簡単な挨拶を終えると、沈黙が訪れてしまった。
どうしたら良いかわからずにおろおろする。「あの」と口を開こうとした時、豊久が動いた。
姫のそばに膝をついて、彼は肩に手を置く。
そのまま口を吸われ、押し倒された。
姫は覆いかぶさる豊久を下から見上げた。こんな角度から男の人を見るのは初めてだ。
どうにも恥ずかしくて直視することが出来ず視線を逸した。
うるさい鼓動が今にも胸をやぶってしまいそうだ。
豊久の手が帯の方に向かう。
しかし、そこで豊久の手がとまった。

「…今日は貴女もお疲れでしょう。もう寝るとしましょう」

素っ気なく豊久は言いうと、彼は姫の隣りに横になった。

「…えっ?」

状況についていけずに、間の抜けた声をだすと彼に睨まれてしまった。
よくわからないまま姫も横になる。
豊久はこちらに背を向けて眠っていた。



姫の気分は沈みこんでいた。
嫁いだ次の日だというのに、もう実家に帰りたいと思っている。
――私って、そこまで魅力なかったんだ。
昨晩のことを思い出す。まるで初夜どころか姫の裸など興味も無いとでも言うように背けられた背中。
姫は惨めさにスンと鼻をすすった。
――私だって、
本当はもっと優しそうな人が良かった。
もっと戦と縁がないような穏やかな人と夫婦になりたかった。
妹や侍女などは武勇に優れた頼もしい殿方が良いと言っていたが、姫は違った。姫は色が白くて、雅な顔立ちの――いわゆる公家の貴公子に憬れていた。公家方の妻がおこがましいなら、文官の妻になりたかった。
何よりも他家に嫁ぐのが姫の願いだった。
姫は島津の家が嫌いだったのだ。

堅苦しく武断主義の島津の家風に姫は物心がついた時から息苦しさを感じていた。

だが何の因果か現実の夫となった人は、いかにも島津の殿方だった。
それでも姫は姫なりに豊久にふさわしい妻であろうと腹を決めて来たのだが――それも無駄だったのかもしれない。
姫は背中を丸めて涙を流した。
空を茜に初める日輪が眩しい。

「……こんな所にいたのですか」

姫は後ろからかけられた声に驚いた。
場所は昨日嫁いだ屋敷の裏山。誰もこないだろうと思っていたのだ。
慌てて涙を拭って振り返ると、予想通り豊久が立っていた。
彼は眉間に皺を刻んでこちらをみていた。

「貴女も子供ではないのだから誰かにどこに出かけるのか伝えるくらいできるでしょう。勝手に出歩かないでください」

姫は俯いた。いかにも迷惑といった豊久の様子に傷付いた。
子供のような姫の様子に呆れたのだろう、軽く溜め息をつく気配がした。

「…殿。早く帰りましょう。家臣が心配します」

そう言うと彼は、姫の手を掴んで歩き出した。
山道を下りながら、姫は精一杯勇気を振り絞って彼に話かけた。

「豊久様。お願いがございます」

「…何ですか?」

「何かお話をしませんか?私たちは夫婦になるまで、挨拶以外言葉を交わしたことがないですから…」

「………」

「あ、あの…?」

答えをくれない豊久を、すがるように見ると彼に睨まれてしまった。
どうやら怒らせてしまったようが、何故だかさっぱりわからなくて姫は困惑した。
何も喋るなということだろうか。姫は仕方なく黙って彼についていった。
気まずい沈黙の末、屋敷に辿り着く。
門の前で手を放された。
その拍子に言われた言葉に姫は頭を悩ませた。

「…私は随分薄情な女性を妻にしてしまったようだ」

彼は嘲るような笑みを残して門の中に消えた。



後編に続く



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