夏の風が爽やかに通り過ぎて、佐土原は実りの秋を迎えていた。
豊久は領地の畠を視察していた。
夏の天候が良好だったため、今年の作物はどれもみな豊穣といえそうで、豊久は胸を撫で下ろした。
黄金の稲穂がたてるさらさらとした音が耳に心地よい。

「とよひさ様ぁ!」

村の子供達が豊久の傍にやってきた。少し前までは強面でまったく子供が寄り付かなかった豊久も、最近ではこのような事態が起こりうるようになった。
無礼だから、と童を下がらせようとした家臣を手で制して豊久は屈んで童と視線を合わせた。
子供達の中で一際幼い女童が、柿を差し出している。
豊久が貰っていいのかと尋ねると、小さい顎が頷いた。
礼を述べて懐にしまうと、女童が面白そうに豊久を見ている。

「とよひさ様、なんだかうれしそう。いいことがあったの?」

そう尋ねてくる女童の瞳は好奇心で綺羅綺羅としている。
豊久はその瞳にある人物を重ねながら、顎に軽く手をあてた。

「いや…あった、というよりは良いことを待っているところだな」
「まってるの?じゃあこれからいいことあるの?」
「おそらく。…そうだお前達」

豊久は周りに居る子供達を見渡して尋ねた。

「約束を破ることは悪いことだと思うか?」

子供達はうんうんと大きく頷く。

「そうだよ!わるいことだよ!」
「そうだな。『悪』だな。なら問題ない」

子供達は豊久の言葉の意味がわらかず、一様にきょとんとしている。
豊久は童の頭をぽんぽんと軽く撫でて、その場を立ち去った。

直政の容態の情報はまるで佐土原に伝わって来ない。
回復したという知らせもなければ、死んだという知らせもない。
豊久はあえて佐和山に問い合わせずに待っていた。
よりにもよって直政に泣き顔を見られたのは汗顔の至りだが、それでもあの時散々泣きはらしたことによって不思議と気持ちは落ち着つきを取り戻していた。
あの日。お互いの境界すらわからなくなるほど貪りあった夜に、あの男は言ったのだ。
『お前が旗を受け取ってくれぬのなら、仕方ない。俺は何が何でもこの体を治して、お前の庭に旗を立ててやるぞ!』
ならば、と豊久も誓ったのだ。ならばその時に自分も本当の気持ちを告げよう、と。


城に戻ると侍女が頭を下げた。

「お館様、お客様がお見えです」

豊久は彼女の言葉を不審に思って、問いかけようとしたがすぐにその口を閉ざした。
ああ、と短く答えるとおもむろに私室の方に向かう。
気持ちが早く、早くと逸っている。
だが同時に、もし違ったら、もし予想とは違う姿でその場で居たら、と考えると足の進みが遅くなって、結局常と変わらぬ速度で廊下を歩む。

生きるとはなんて恐ろしいのだろう。

残酷な真実がそこかしこに転がって、どんなに願っても望んでも現実は一つだけで。

そんな現実をどうのように受け止めるのかも自分次第で、最終的には自分一人がそれを決めなくてはならない。

人はどうしようもなく孤独だ。

たとえ心を許せるかもしれない人物に出会えたとしても、死は平等に不条理にその人を連れ去っていく。

この世には凄惨な悲しい死があって、同時に喜劇のように平穏な生がある。

それでも、


この現世のすべての矛盾を包みながらも、空は青く輝いている。


そして豊久はその空と同色の旗が庭ではためいているのを見て取った。

青い、旗が。

その旗の傍に1人の男が立っていた。
記憶よりもさらに痩せた後姿。しかし背筋は清々しいほどまっすぐに伸びている。
彼は雲ひとつない秋晴れの空を仰ぎ見ているようだ。
豊久は近くの柱に腕を組みながらもたれ、一つ息を吐いた。
声を、かける。

「ふん。…足はあるようだな」

男がこちらを振り無く。
そしてあの戦場でみた過剰なまでに生き生きとした表情で言うのだ。

「復・活!」

あまりに予想通りな言葉と仕草に、豊久は思わず笑ってしまった。







Fin




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されど空は青く輝いて