どこの町にでもありそうなその大衆食堂が二人の御用達の店だった。署から少しだけ離れた立地と、慎ましい佇まいは他の同僚に見つかることなく二人の牙城であり続けている。
豊久はレバニラ定食を食べ終えて、見るともなしにテレビに映っている野球のナイターを眺めながら煙草に手を伸ばした。一方、とうにとんかつ定食を完食しナイター観戦に夢中になっていた直政が向かいの席から漂い始めた紫煙に気付いて口を開いた。
「お前さ、いつの間にか吸うようになったよな。前は全然吸わなかったのに。なんで?」
「黙秘権」
別に黙秘をするほど理由に秘密はなかったが豊久は無精をして「もくひけん」という便利な5文字を使用した。
真相は直政しか喫煙しないのに自宅に灰皿を用意している事実や、いそいそとその灰皿に積もる吸殻を捨てていることにある日、唐突に途方もなく腹が立ったからだ。やってられるか!そう思った豊久の怒りは自分も喫煙者の仲間入りすることで一応の解決をみたのである。
直政は特に気にした様子もなく、違う疑問をぶつけてきた。
「なんでハイライトなの?」
「なんとなく」
「親父臭くないか。ハイライト」
「ふん、ほっとけ」
豊久がふぅと息を吐くと白い煙が広がった。
「…そう言うお前はどうしてラークなんだ?」
「赤いから」
豊久は納得した。
これ以上ないくらい納得できる理由だった。
「マルボロも吸うぞ。赤と白。白も正義の色だから」
「正義?」
「天使の色」
豊久は苦いものを飲み下した顔をした。良い年した大人の男が天使だと?せっかく美味しかったレバニラ定食の味が急速に色褪せていく気がした。
「…つまり、マルメンは緑だから吸わないのか」
「ハッカは好きじゃない。すーすーする。」
それがメンソールたる所以だろうと思うが、実は豊久もすーすーするものはあまり好きじゃないので強く言えない。
昔、伯父が気に入っていたガムがあって、子供心にそれを口にしたらあまりの辛さに涙目になって噎せた。ミントの黒ガムだった。おかげてミントガムは苦手になったが、伯父に対する尊敬の念はヒートアップした。あんな刺激の強いものを涼しげに食べる伯父はすごい!豊久は一瞬思い出に浸ってうっとりした。
直政はとんとんとラークの箱で卓を叩いて、口を尖らせる。
「つうか俺のよりハイライトの方が重いんだぞ」
生意気。
そう言って直政は豊久のハイライトの箱を自分のラークの箱で倒した。また、よせば良いのに豊久も仕返しとばかりに倒された青い箱で赤い箱を弾いた。
そんな応酬を二人は延々黙々と続けた。ちょっと異様な光景である。後から思えば疲れていたとしか思えなかった。あな恐ろしや現代ストレス。
そんな2人を余所に1人2人と他の客が会計を済ませ…気がつけば後ろに食堂の貫禄たっぷりの女将が仁王立ちしていた。
「ちょいとお客さん。閉店時間過ぎてるんだけど」
ぎろっと鋭く睨付けられた。普段暴力団幹部と同等と渡り合っている直政と豊久でさえちょっとたじろく迫力だった。
直政は素直に謝ったが、豊久は非常に罰の悪い思いをしながら謝った。直政はともかく、自分までなんでこんなことを。
かくして2人はすごすごと背中を丸めて退却したのだった。
Fin
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初出 09.6.8
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