いっそのことチャイムを取り払ってしまおうかと思う。しかしこの部屋には頻繁に故郷から物資が届くのだ。不在通知をポストに入れられて再配送を頼むのはいかにも手間である。
つまりチャイムを取り外すことは出来ない。
至った結論に豊久はさらに眉間の皺を深めた。
そして先ほどからうんざりする程聞こえてくるチャイム音の連打に苛苛しながら、インターフォンを手にとった。豊久の文句よりも、その声の方が一拍早かった。

「ドーナツ食べない?」
「いらん」

がちゃりとインターフォンを戻す。
途端、チャイムの嵐に逆戻り。
豊久は額に青筋を立てて玄関に向かう。
ぶん殴ってやる。そう決意してドアを開けると、豊久の行動を先読みしたように頭を巨大な箱でガードしている直政の姿があった。

「……なんだ、その馬鹿デカい箱は…」
「ドーナツ!会社帰りに100円セールしてたみたいだから、全種類買って来た!」
「そうか。良かったな」

豊久がドアを閉めようとすると、がっ!とドアの隙間に直政が靴を挟み込んで来た。
刑事かヤクザかこいつは。

「一緒に食べよう!」
「一人で食え!」
「一人じゃ食べ切れない!」
「じゃあ買うな!」
「……島津」

言葉を交わしながらぐぐ、とドアの攻防戦が繰り広げられていたが、直政の声のトーンが下がって豊久は怪訝な顔をする。直政は嫌に神妙な顔をして語る。

「この世界では4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している。現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人」
「あぁ確か世界の肥満の人数は、世界で飢えている人とほぼ同人数らしいとは聞いているが・・・」
「島津!!」

豊久の返答を意に返さず、直政は意気揚々と言い放つ。

「お前がこのドーナツを見捨てれば遅かれ早かれこれは薄汚れたゴミ箱の底に捨てられ、冷たく固くなってしまう。飢えた子供の腹を救える可能性があったドーナツが、だ」

かっと直政が目を見開いて、豊久を指した。

「すなわち、このドーナツを見捨てる貴様に正義の使者を語る資格はない。悪の手先だ!」

豊久は妙に感心した。
こんな粗末な屁理屈はとんと聞いた事がない。支離滅裂さにおいて比類がない、前代未聞の責任転嫁である。
そもそも自分が正義の使者など赤面ものの自称など語ったことは一度もないし、買ってきたものに責任を持たないことの方が悪徳だ。
で、あるにも関わらず直政は鼻高々な様子でやけに清々しい顔をしている。えっへんとかなんとか言い出しそうな雰囲気だ。
さぁ今度こそドアを閉めるかと思った豊久であったが、

「……わかったから、入れ」

結局、折れた。
直政は胸を張って「やはり正義は勝つ!」などと言ってずかずかと玄関に上がっていく。
豊久はそっと外に頭を下げた。なんてことはない。実際は直政の言にではなく、もう1人の隣人の迷惑そうな視線に気づいて豊久は折れたのである。
まぁ豊久も食べ物を無駄にするのは本意ではないというのも確かにあったが。

不本意ながら久方ぶりに食べるドーナツは美味かった。
さして好物と言う訳ではないが、特別甘いものが嫌いというわけではない。
それでも厳格な実家に糖分たっぷりのくせに栄養素の乏しいジャンクフードが置いてあることは極稀であったし、1人暮らしになってわざわざ自分のためにドーナツを買ってくるなど一度もなかった。
その上周りからは何故か甘いものが苦手と見られることが多く、贈り物も菓子を贈られることは少ない。バレンタインなどもわざわざ甘みを抑えたものを贈られることが多かった。(ちなみにこの事実は己はそんなに強面なのかと地味に豊久を悩ませたことがある)
と、ドーナツとブラックコーヒーという組み合わせで黙々と食を進めていた豊久はふと部屋の中が静かになったことに気づいた。
見れば先までがつがつという形容が相応しい食べ方をしていた直政が腹を出してソファーの上で寝息を立てている。

「…今日もここに泊まっていくつもりか」

今度から一泊いくらという形で金を取ってやろうかと考えながら豊久は立ち上がる。
物凄く面倒くさいが、毛布をとってきてやらなければならない。だがその前にドーナツのチョコと砂糖をを口の周りにべっとりとつけた締りのない直政の寝顔が目に付いた。
豊久はその額に派手なデコピンを放ったが、自称正義の使者は一向に目を覚ます気配はなかった。




Fin

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初出09.5.24