「島津さん!ソーセージ、もう暖まってますよ?」

三成の呼び声にはっと気を確かにすれば、彼の言うとおりレンジは役目を終えて静かになっていた。最近の豊久はどうにも注意力散漫だ。気がつけば己の手綱を離れて、意識があらぬ方向に飛んでいってしまう。
出来上がったフランクフルトを鬱々とした表情で並べていると、三成が心配そうな顔をして声をかけてくる。

「…島津さん。何かあったんですか?その、俺でよければ……」

相談にのりますよ。
豊久は少し口の端をつりあげる。それは笑みというにはあまりに粗末なもので、単なる筋肉のひきつりという表現の方が正しい。
なんと説明すれば良いのだろう。積年の想い人である幼なじみが肉体関係を持っていた相手が――
言える訳がない。想定外の事実に動揺し、混沌を極めている自らの胸中を言葉にする気力もない。
豊久は疲れていた。だから、次の言葉はまったく意味のない、仕方なく場を繋ぐための、あたりさわりの台詞にすぎない。

「…そう言う貴方は最近、面倒な相談ごとをもってきませんね」
「あっ、はい。おかげさまで最近は行き違いもなく…」
「それは良かった。毎回仕事中にプライベートの相談をされて難儀していましたから。まったくどうして貴方は、毎度俺に相談していたんですか?」
「そりゃあ…」

ぱちぱちと三成は目をしばたせた。
それから「えっと…」と言って手を広げる。どうやら指を折って理由を教えてくれるようだ。

「島津さんは頼りになるし、優しいし、ちょっと口悪いけど人の悩みを笑わないし、なにより建前じゃなくて思ったことを正直に教えてくれるから…ですよ?」
「…誉めすぎですよ」
「あぁ、だから島津さんに嫌われたくないのかなぁ」
「え?」

三成は見たこともないような真面目な顔で言った。
その言葉はいやに豊久の脳裏に印象を刻んだ。

「島津さんはとても正しい人だから。だから島津さんに嫌われたら、きっと、すごく辛いでしょうね」




****


無心に、
無心に豊久は木刀を降っていた。
息を吸い、一つ大きく木刀を降り下ろす。

木刀を立てかけ、こめかみ伝う汗をタオルで拭う。

「お前がここに来るのは久しぶりだな。豊久」
「あっ、伯父上…」

豊久は彼らしくもなく、気の抜けた返事を返す。尊敬する伯父の前だ。しゃんとしなければならないのに、どうにもファミレスの一件以来リアリティが持てない。
義弘はこの道場の主である。子供相手に彼は剣道を教えていた。――直政と最初に出会ったのもこの道場が縁である。
義弘はふむと顎に手を当てて、唐突に尋ねてきた。

「豊久、直政君とは仲直り出来たのか?」
「はっ?……い、いえ、その……」

義弘の問いかけは、寝ぼけていた面にパンチを入れるような効果をもたらした。
予想外の言葉に豊久は飛び上がり、しどろもどろになる。何故直政と仲違いしたこと前提なのか・・・
動揺する豊久を眺めて、彼の伯父は一人納得して嘆息した。

「左様か。また喧嘩したのか。まったくなぜお主らはお互い好きなのに喧嘩ばかりするのか。奇異なことだ」
「お、伯父上なにを…」

好き、という言葉に思わず頬に朱がのぼりそうになるのを必死に堪える。
彼の言う好きは果たして恋愛感情のものなのか、それとも広義の友愛という意味での好きなのか判断に迷う。軽い口調から判断すれば後者であるように思うが、義弘は器の大きい人物なので前者であるという可能性も捨てきれない…。

「反論は出来まい?大学に入ってからのお前の表情はずうっと明るくなった。高校の時は酷かった」
「・・・自分は高校の頃どんな顔をしていたでしょうか?」
「うむ、カントとデカルトと芥川を混ぜたような顔であったな」

それは大変だ。
とても高校生のする表情じゃない。
義弘は慈愛に満ちた表情で甥を見つめた。

「豊久、彼のことが好きか?」
「はい」

あまりに素直に頷いてしまったのは、伯父に嘘はついてはいけないという習性のせいだろうか。質問の内容のせいだろうか。
とにかく肯定した豊久の頬は後から、朱に染まって。それから「ええい!いい加減しろ自分!」と己を叱咤し、胸を張って「はい」ともう一度頷いた。その返答にやっとブレていた己の輪郭がはっきりした気がした。
義弘は目を細める。

「左様か。ならば良し。あの子もお前にだけは懐いていたからな」
「・・・?直政は社交的で人なつっこい性格だと思いますが?」
「表向きはな。しかしその実、あの子はとても疑り深い。掛け値なしで信用しているのは父親とお前くらいのものだろう」

そうなのだろうか。義弘と自分の中の直政は明らかに差異がるにも関わらず、義弘の指摘にもどこか納得できるものがあった。
まったく好きだと駄々をこねていたわりに、自分は随分とぞんざいに彼を見ていたものだ――本当に、とても。

――直政が信用しているのは、養父と豊久だけ。

ならばと考える、そして豊久はここに来てやっと、おぼろげながらやっと彼の思惑に掴んだ。
豊久は唇を、強く、噛んだ。


伯父に礼をして、すぐ近くの自宅に飛び込む。階段をかけあがって、机の上に置いた携帯を取る。
あの日は「後で連絡するから」と、すぐに彼と母親はその場を立ち去った。しかし未だ着信もメールもない。
ディスプレイを見つめ、意を決してボタンを操作した途端、携帯が震えた。
豊久の肩がぴくりと反応する。ディスプレイには今まさに連絡をとろうとしていた相手。
一つ息を吸ってから、電話を取った。

「よう!寝てたか?」

明るい声であった。だが同時に、張りつめたものを感じさせるよそよそしさが漂う。
豊久がいやと答えると、すぐに用件を切り出してきた。

「明日の夜は空いているか?」
「あぁ」
「じゃあ中学の校門前に九時でどうだ?」
「わかった」

用件が終わり、不自然な沈黙が落ちる。
何を言おうか、何を言おうか。考えている間に、直政が微かに震える声で尋ねてきた。

「電話番号変わっていなかったんだな」
「あぁ」
「もしかしてメルアドも?」
「変わっていない」

変えられなかった。変えてしまえば、直政との繋がりが完全に絶たれる気がして。
だからといって、自ら直政に連絡することも出来なかった。

「…俺も」

俺も変わってないよ。

直政は、ぼそりと言った。

――責められている気がした。
なぜ一度も連絡をくれなかったのか、と。
それはこちらの台詞でもある。なぜ連絡をくれなかったのか。あの卒業の日から、恐れながらも、彼の声を死ぬほど焦がれていたのに。
だが、豊久は声高に彼を責められない。自分が連絡するべきだったのだと、やっと、今になって気づいたのだ。

明日の九時だな?と豊久は念を押した。
直政は嗚呼と頷き、あっさりと電話は切れた。



To be continued

10.1.31



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