「殿、井伊殿から贈り物が届いておりまする」
兵法の書物を読んでいた豊久は首を傾げた。何かを寄越してくるなんて話は事前に聞いていない。
家臣を下がらせ、机に置かれた¨贈り物¨を見る。
右上の角が何故か少し欠けている、小さめな木箱である。
紐を解いて箱を開ける。
「!?」
豊久は目を見開いた。
布と真綿で敷き詰められた箱の中。それは安眠を貪っていた。
一寸、とまではいかないがある有名な御伽噺を彷彿とさせる非常に小さな――人型。
しかもすやすやと寝入っているその顔形といったら、豊久もうんざりとする程見知った男のものだ。
豊久が完全に硬直していると、それは「むにゃ」と変な声をあげて目を擦る。
ぱちりと目を開けて完全に覚醒したらしいそれは、元気良く片手をあげた。
「あっ、島津!おは」
がたんっっ!!
派手な音をたてて、豊久は思いっきり箱の蓋を閉めた。
その上、体重をかけて箱が絶対開かないようにぎりぎりと押えつける。
「人の挨拶を聞かないなんて悪だぞ!!」
一方、箱の中のそれは開けろ―!とわめきながらガタガタと箱を揺らすのだった。
ぱくぱくと大きな口を開けて、それは大福にかぶりついている。
「………それで?」
豊久は額を押さえながら、低い声で尋ねた。
「だから、朝起きたらこんな姿になってておぉ―!っと声をあげて。だー!と木俣ん所に走っていって。木俣の耳元でぎゃー!と叫んで此処に来た」
やたら擬音語が多いそれ――小さくなった直政の説明である。
井伊家家老は仰天したらしい。
主君が親指くらいの大きさになって、枕元でぎゃんぎゃん叫んでいるのだから無理もない。
これは夢か人を惑わす妖しか、蒼白になった木俣は四刻も念仏を唱え続けたらしいが一向に変わらない事態にやっと現実を受け入れたらしい。
(ちなみに木俣が一心に念仏を唱えている間、手持ちぶさたになった直政はもう一眠りと欠伸をして横になった。ふてぶてしい主である。)
その木俣と相談した結果、直政は豊久の所に行くことになった。
なんでそこで佐土原なんだ。不満と怪訝さが一緒になった声で反論しすれば、彼はあっけらかん答えた。
「将がこれでは部下に示しがつかん。特に――赤備え」
井伊家の赤備えは元々武田の精鋭部隊のものがほとんどである。
確かに再就職先の主がこうなってしまっては彼らの反応は温かいものではないだろう。
「えりーと。だからな、あれは」
「………つまり元に戻るまで此処にいるのか?」
「おう!宜しく頼むぞ!!」
ぱくん!と最後の一口を口に入れ大福を完食した直政は、満面の笑みを浮かべる。
豊久は額に青筋を浮かべる。何故そういうことを勝手に自分のいない所で決めるのか。
直政が通常の大きさならいつも通り容赦なく殴り付けているところだが、流石にこんな状態の彼を殴ったら¨ぷちっ¨といってしまう。
しかしこのまま何もしないのも癪にさわるので、豊久は七福神の布袋様のように膨れた腹をさすって幸せそうな顔をしている直政の額をぴんと指で弾いた。
「ふひゃ!」と間の抜けた声をあげて直政が後ろに転がる。勢い余った直政が一回転し、べちゃっと顔面から落ちた。
「うぅ…何をする島津!」
小さいものを苛めるのは悪だぞ!鼻を赤くし涙目になって直政が怒る。
一瞬唖然となっていた豊久は我に返って「…ふん」と鼻を鳴らす。
それから手ぬぐいの端で直政の顔を拭った。直政の顔は大福の粉まみれだったのである。
むぅと口を尖らせながら直政は大人しく従う。
頬をむにむにとされながら拭われる直政を見て――豊久の胸は高鳴った。
…可愛い。
後ろにころころと転がる様を見た時も思ったが、今の直政はまるで小動物で庇護欲そそる。
一緒にいたらなんだか変な趣味に目覚めてしまいそうだな…と密かに豊久は妙な不安を抱いた。
「ところで…」
「うん?」
「その着物は…?」
「あぁ、木俣が作った!」
着物と言っても一枚布にかろうじて腕をだす穴が開いている程度の粗末な作りである。
武骨な武士が四苦八苦して作ったのだろう。なんだか着物の端にうっすら血痕までついている気がする。
だがむしろ気になるのは別の所である。
「…その襟巻きは自分で巻いたのか?」
着物は粗雑なのに、何故か直政の首にはちゃっかりいつかの花見のように襟巻きが蝶々結びで結ばれている。
「うん?あぁ木俣が襟巻きを結んでいいかってやたら真剣に聞いてくるもんだから、別に好きにして良いって言ってやった」
「…そうか。」
「そういえば木俣の奴、妙に満足気だったな。俺んちの家老ながら変な奴」
「…………妙といえば、この襟巻き変わった生地だな?」
「ばてれんの菓子箱を括ってあった紐だ。¨りぼん¨と言うらしいぞ!」
直政が後ろを向いてその¨りぼん¨を見せて来た。手触りが不思議なほどつるつるしている生地だ。
ふうんと頷いてから豊久はおもむろに立ち上がって小箱を持って来た。
「なんだ?」
「ふん、着る物を作ってやる。そんな姿では見苦しいからな」
そう言って豊久は小箱から裁縫道具を取り出す。
確かに、この大福は誰にも渡さん!とばかりに大福にしがみついて食べていた直政の衣は白い粉まれで元の作りもあわせてみっともない。
直政は目を丸くした。
「島津は繕い物が出来るのか?」
「ふん、戦場で伯父上の繕い物はすべて私の仕事だ」
「なんだって!?そんなの狡い!!」
直政は憤慨した。
「俺だって家康様の繕い物がしたい!!」
「無理だろう。家康公には戦場にまでついてくる奥方がいるのだから、お前の出番なんてない」
「酷い!不公平は悪だ!!」
そう言って駄々っ子のように手足をばたつかせる直政をよそに、豊久はちくちくと針仕事を開始したのだった。
Fin
初出09.7.27
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