直政がうんと両手を突っ撥ねて力を込める。
対して豊久は左手の指一本で対抗している。しかも片方の手では書状を認めている状態でである。
ぐいぐいと何度も直政が力んでも豊久の指はびくともしない。
逆に豊久がちょいと指に力を込めれば「わふぁ!」と妙な声をあげてころんと直政が後ろに転がった。

「島津ぅ」

頭を擦りながら情けない声をあげる。
筆を止めずになんだと聞けば、それは胸をはって宣言した。

「遊ぶのは飽きた。今からお前の仕事を手伝うぞ!」
「…はっ?」

今のお前に何が出来るんだ。
疑りの目で見ても自信満々の直政の様子は変わらない。

「報告書を机に広げてくれ」

仕方なく豊久は言われるまま報告書を長机に広げた。
なんだかんだ豊久は直政に甘い。否、正確には小さくなった直政には甘い。
直政はぺたんと手と尻をついて字を眺めているようだ。

「…読めるのか?」

今の直政の身長から考えて、普通の人間が書いた文字は大きすぎる。
一度に読める文字数などたかが知れているように思えた。
だが当然の問いに直政はにやりと笑った。

「こうすれば問題ないぞ!」

そう言うと直政が紙の上をとととっ、と走り始めた。
走りながら器用に文章を読んでいるようだ。
うねうねと蛇行しながらも左へと進んだかと思ったら、ぴたっと立ち止まり前に通過した地点に戻る。
気になる一文なのかぐるぐるとその周辺を歩き一つ頷くとまた左へ移動を始める。
予想外の行動に呆気に取られていた豊久は慌てて釘を打った。

「おい、破るなよ」
「任せておけ!」

――本当に任せられるのか。
豊久は彼が普通の人間であった頃(?)の粗野な振る舞いを思い出しては不安に陥る。
そもそも人の家の報告書を何だと思っているのだこの男は。
こんなに足の裏で踏まれまくった報告書なんてそうそう、ありはしないだろう。
豊久はこれを作成した部下に同情を寄せた。

「島津、次!」

一方やる気満々の直政は次を急かす。
豊久は諸々の言葉を飲み込んで巻き物を引っ張ってやった。
それから一刻が過ぎるか過ぎないかの頃である。
豊久は意を決して口を挟んだ。

「…そろそろ疲れたんじゃないのか?」
「つ、疲れてなんかないぞ!」

そう言いながら直政の呼吸は弾んでいる。
先ほどから縦横無尽に机上を駆け回っているのだから無理もない。
豊久は大きく嘆息した。

「…ふん、そもそもがだ」

そう言いながらひょいと直政のりぼんを摘みあげた。

「こうした方が効率が良かろう」

報告書の上にぶらんと直政をぶら下げる。
直政が目を輝かせた。

「おお!全部見える!」

彼ははしゃいで、きゃっきゃっとした。
はぁぁ、と脱力しきった豊久の溜め息がもれた。




結論として、どう考えても直政の参戦は政務の能率を下げた。
だが彼の助言は聞くにたる価値があったので豊久は「ご褒美」をあげることにした。



「うむ!働いた後のこれは格別に美味いな!」

そう言って直政はまるまるとした好物の饅頭にかぶりついた。
わざわざ食べやすく切ってやろうかと提案したのに「そんなの夢がないだろ!」と言って断られた。この男、何回夢にかぶりつくつもりなのだろうか。
しかし、もくもぐと饅頭を食べる姿はなかなか和むものがある。
頬をぱんぱんに膨らませて食べる様子が齧歯類を思い出させるのだ。
その雰囲気齧歯類と豊久の会話である。

「饅頭がこんなに美味くて大きいなんて、なんという正義!いっそのこと全員が小さくなれば兵糧も困らないんじゃないか?」
「ふん、全員が小さくなったら作り手も小さくなって、小さい饅頭しか出てこないぞ」

いや、と豊久は一度言葉を区切った。

「そもそもお前と同じくらいの人間しかいなかったら、原材料を栽培することも収穫することも難しくなるな。もしかしたら饅頭自体作れなくなるのではないか?」
「そ…そんな……饅頭がない世なんて悪だ………」

がーん、と直政は途方もない衝撃を受けたようだ。
なんだか豊久は本気で心配になってきてしまった。

「お前体も随分小さくなったが、頭の中はもっと小さく縮んだんじゃないだろうな…?」

豊久の痛烈な言葉も饅頭でしょんぼりと肩を落としている直政には届かなかった。


Fin



初出09.8.12