※現代パロ
※人嫌いな小説家豊久とアシスタント直政です。
※+のような→のような関係








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不幸な人だ
だからお前の所に行ってあげなきゃと思った


初めて自分の本を読んだ感想を、それはそれはとても軽い口調で彼は言った。
豊久は叩いていたキーボードを止めた。年下で自分のアシスタントの分際で聞き捨てならないと眉間の皺を深くしたが、自分に返す言葉はないのだと思い至る。



他人が大嫌いだった。
係わるのはごめんだった。
会話を交わすのも厭わしかった。


ただ文章を書いて、担当に「後はそっちで勝手にしてくれ」と出来上がったものを押し付ける毎日。


『ただいま』も『ありがとう』も忘れていた自分は確かに孤独で不幸な人間だった。


そんな自分の前に突然彼が現れた。

家に押しかけてきて「貴方の本を読んだ、貴方のアシスタントは俺しかいない!」と豪語した大学生を勝手にのぼせ上がったファンの一人とみなし、豊久はけんもほろろに追い返した。
自分は人嫌いなのだ。アシスタントなど冗談ではない。

しかし彼は心底めげなかった。
豊久の罵倒にも無視に耐えて、担当から豊久の仕事を聞き出しスケジュールを管理し、犯罪すれすれの方法で豊久の住宅に侵入し執筆に必要そうな資料を置いていく。
そのうち資料ばかりではなく、食料品や消耗品まで置いていくものだから、豊久はすっかり執筆だけに専念する快適な暮らしに慣れてしまった。



その日も男が勝手にいれてくれたコーヒーを片手に仕事場に戻ると、机の上に封の切られた手紙が取りやすいように並べてられていた。
ファンレターである。

「ふん…」

余計なことを、と豊久は
鼻を鳴らした。豊久はいちいちファンレターなど読んでいない。
デビューしたばかりの頃は読んでいたのだが次第に「読者というものはこんなに浅はかな解釈で満足してしまうものなのか!」という失望が重なり読むのをやめてしまった。
以来創作とは人の言葉に惑わされず、ただ己の言葉に耳を傾け理想の形に作品を近づけていくものだと豊久は思っている。


たまたま。その時たまたま豊久の興が乗った。
さぁ読めとばかりの気配りに、まぁ久しぶりに読んでみるかと手紙を広げた。

読み進めていくうちに、豊久の顔色が変わる。
がたりと大きな音をたてて席を立ち、大股で書棚に向かう。
ぱらりと自分の著作である本を読み進め、カバーを外してみれば脱力したように椅子に戻った。


ファンレターの主はデザイン学校の生徒で、豊久の小説は好きな装丁作家が手がけていたから手にとったのだという。
手紙には「小説の内容は当然ながら、本のデフォルトが素晴らしい。関係者のこの本に対する愛をひしひし感じ感動した。」という内容がみずみずしい文章で書き綴ってあり、この本に対する気づいたことを事細かくあげつらねている。
この文章は自分の文章よりも表現力に優れている。
素直に認めると同時に愕然とした。


――自分は何も知らなかった。
飛行機乗りを題材にした物語に沿って、表紙は青い空に飛行機が飛ぶシンプルなデザインだということはかろうじて知っていた。
だが中の小説を読み進めていくうちに紙が白から青と色が段々と濃くなっていく変わった仕組みも、カバーを外した本の裏には表紙にあった飛行機はなく、代わりに雲の上を悠々と歩く主人公の姿らしきものが見えることも知らなかった。
そのカバー裏の仕掛けはラストを暗示させるものであろう。とても素敵だと手紙には書かれている。
しかしそう言われてもカバー裏の仕掛けなど指摘されて初めて知ったことで、豊久は酷く戸惑い、そして――強く恥じた。


それはこれまでの人生でいまだかつてない程の大きな羞恥だった。


図書館の本は保護シートがかかっていることを考えれば、恐らくこの手紙の主はちゃんと自分の金銭で購入してくれたのだろう。
その読者の方がこの本を見ている。提供側の知らない事を知っている。その事実がまず恥ずかしい。


そして関係者の細やかな仕事を思った。
本を出版するには、まず原稿を校正しなければならないし、レイアウトも考えなければならない。装丁家を探し、印刷会社とも打ち合わせ。発売日と価格検討もしなければならない。新聞や雑誌、電車の釣り広告の手配も必要になる。
一冊の本を出版するにはそれ程の労力を必要とすることを知っていた。
だが実感したのはたった今、この瞬間。
ざらざらとした表紙の手触り、に制作者の意志を感じる。


豊久は初めて心から感謝の気持ちを覚えた。


ただ自分の作品に打ち込み、仕上げていくことだけを良しとしていた。出来上がった本は、無造作に本棚に差し込み他人の努力や気遣いを省みることはなかった。仕事とはいえ、どれだけの人がどれ程の時間と労力を割いて自分の作品を世に送り出してくれたのだろう。

誰が執筆するだけで良い、姿勢を支えてくれていたのか。


恥ずかしい。
自分は酷く恥ずかしいことをしてきた


人が嫌いだからという理由で、他人の努力を存在を無視してきた自分はなんて視野の狭い、驕った人間なのだろう。
豊久は深く己のこれまでを悔いた。



後日いつも通り家に訪れた担当に豊久は頭を下げた。
突然の謝罪に担当は驚き、慌てふためいた。

「先生にそう言って貰えて本当に嬉しいです。…報われた気がします」

笑ってから嗚咽を漏らし始めた担当に今度は豊久が慌てた。
その様子をにこにこと楽し気に見ている男がいる。

「良かったなぁ!!!」

ばしばしとまったく手加減のない掌が二人を叩く。
豊久は「煩いぞ、井伊」と鋭く睨むが、彼はまったく意にかえさない。

直政は当然のようにその場に居た。
ちゃっかり豊久の家に定住し始めた彼を、豊久も追い出すことは出来ない。
直政がサポートするようになってから、豊久の仕事は倍に増えていた。彼は豊久が苦手とする折衝と売り込みが大変上手かったのである。
担当、出版社への連絡、スケジュールの管理をすべて任せている彼がいなくなったら仕事に著しい支障をきたしてしまう。


担当を宥め原稿を持たせて帰した後、ソファーでほっとため息をつく。
疲れたが、久しぶりに爽やかな気分である。
直政が後ろに立って豊久の肩を揉む。
好きなようにさせていたら、唐突にその言葉は豊久の身に落ちてきた。


「…お前は読者に対して怒ってたんじゃないよな?ちゃんともっと自分の文章を読んで欲しいって、傷ついたんだ。お前は本当は哀しかったんだよ。」


いつも喧しい男の柔らかな口調とその内容に豊久は虚を突かれる。
動揺を隠しながらいつものように「ふん」と鼻をならした。
「煩い」とまた言おうとしたのに、不可解なことに目頭が熱くなってしまってそれも叶わなかった。
肩を掴む掌から温かなぬくもりが伝わった。



****



夕飯が出来上がったという知らせに豊久は腰をあげた。
いくら淹れてもコーヒーの味は今ひとつなのに、料理の腕は目をみはる程あがった彼の料理に舌鼓を打つ。

「そういえば雑誌で豊久の写真を撮らせて欲しいって依頼が来てるけど?」

ワインのボトルを傾け豊久のグラスに注ぎながら、含みきれていない笑みを浮かべて直政が尋ねた。雇った当初は一応最低限の敬語を使っていたが、10年たった今では完全に砕けており名前も呼び捨てである。
だがそれを豊久は許していた。いまさらこの男に「島津さん」「先生」など呼ばれても気持ちが悪い。

「ふん、冗談じゃない。小説書きは小説で勝負するのが仕事だろう。顔を世間に曝して何になる」
「言うと思った。もったいないなぁ。豊久、良い男だから新しいファン層を取り込めるチャンスなのに」

途中の言葉に白身魚を喉に詰まらせそうになって、慌ててワインを煽る。
それから迷うように視線をさ迷わせ、意を決して口を開いた。

「…今度一緒に旅行に行かないか」
「何処に?」
「京都」
「取材で?」
「いや、プライベートだ」

思わずそう答えて、己の失策を悟る。仕事だと答えていれば断られる可能性は皆無だったのに、プライベートなどと言ってしまえば断られる可能性が出てきてしまう。
しかし直政はあっさりと「良いね。京都。久しぶりだ!」と快諾した。
ほっと豊久は胸を撫で下ろす。
二人は周りが噂するようにいかがわしい関係ではない。これで出会って10年目にして初めて二人でプライベートで旅行に行けることになる。煩いが楽しい旅になるだろう。

やがて食事後のコーヒーが運ばれてくる。
そのなんとも言えずぼやけた味に「自分は救われたのかもしれない」と実感した。



Fin


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10.4.11








家族と淡い恋の中間のような関係のようです。