曹操はこっそりと人の目に入りにくい館のそばの裏道を歩いていた。
やっと適当な場所を見つけて、その木の下に座り込む。
立てた膝の上に手をついて、頬杖をつく。
蒼天の空に瑞々しい緑が映え、鳥が鳴いて風がやわらかに吹き抜ける。
のどかな景色を曹繰はぼんやりと眺めた。
色々なことが頭に浮かんだ。
戦のことや政のこと子供たちのこと
流れる思考は痛みもなく、するすると流れて行く
負け戦の忸怩たる思いや、政の迷いなどが胸をよぎることがない。
あまりに無味乾燥な感覚に、若かりし頃の胸を抉るような痛みが恋しい。
――俺も枯れ果てたということか
「孟徳!」
後ろから名前を呼ばれた。
振り向かなくても声の主なんて容易くわかる。
「お前!誰にも行き先つげずにフラフラするなって何度言えばわかる!!・・・ううん?」
従兄弟を叱り付けようとした夏候惇は、いつもと様子が違う曹操に気付く。
「・・・孟徳。」
がしっと夏侯惇は曹操の襟を掴む。
「お前今何を考えている?」
「・・・・・・・・・」
「それだ!その顔」
ゆさゆさと夏侯惇は曹操を揺さぶる。
「お前は真面目な顔をしている時は阿呆なことしか考えない。そういう痴呆みたいなアホ面さげている時の方がくよくよくよ悩んでいやがる。言え。何考えてるんだ。吐け!吐け!」
「――惇」
曹操はどこか虚ろな表情で問う。
「俺は今、生きているか?」
「はぁ?」
夏候惇ははっきりと怪訝な顔をした。
かまわず曹操は言葉を繋げる。
「最近昔の事を思い出しても、辛くない。胸が痛くなる事も。昔あれほど感じていた情熱もどこか遠い。これでは死人ともそうかわらんな」
投げやりな曹繰の言葉にはぁぁと夏候惇は盛大なため息をつく。
そして乱暴に主君の耳を強くひっぱった。
「バァカか。お前は!!!」
鼓膜が破れるのではないかと言う大音声が、曹操の耳に流し込まれる。
悲鳴をあげかけた曹操の口を、夏侯惇の武骨な手のひらが塞ぐ。
息苦しさに呻き声をあげながら、手足をジタバタとさせると上から高笑いがした。
「まぁ―たっく!お前はどうして変なところでその辺の馬鹿より馬鹿野郎なんだ。若い頃みたいに情熱を感じないのは当たり前だろうが。成人してから何年たったと思ってる。それとも何か。まだピチピチの若造だと自分では思っているつもりなのか。恥ずかしい奴め」
「うーん!!」と若干涙目になりながら曹操が唸るが、夏侯惇はまだ手を離さない。
自分の胸元で暴れる従兄弟を夏侯惇はふと暖かな表情で見つめる。
「あたり前なんだよ。あの頃みたいな感覚を抱けないのは。俺たちはもう若造じゃない。ジジィなんだ。だけどな、ジジイになって若造にはできないことが出来るようになったし、若造には見えないものが見えるようになったことなんだぜ。若い頃ばっか正しいなんてことあるかよ。」
そう言ってやっと夏侯惇は曹操の口から天を離した。
曹操はしばらく真っ赤な顔をして、肩で息をした。
「…死ぬかと思ったぞ」
夏侯惇はカラカラと笑った。
「それは良かったな。お前が生きてる証拠だ。――さぁ立て!仕事に戻るぞ!」
尻を叩いて土埃を払った夏侯惇が、曹操の肩を掴もうとする。
しかし延ばした手首を引っ張られ、逆に膝をつかされてしまった。
手首を掴んだ曹操は調子を取り戻したように、ニヤニヤと意地悪く笑う。
「お断りだな。せっかく久し振りに媽に怒られたんだ。ついでに媽にたっぷり甘えてやりたい」
そう言って曹操かすめるように夏侯惇の唇を奪って、しっかりと夏侯惇の体に抱き付く。
夏侯惇は顔を真っ赤にしながらも、昔からの習性で従兄弟の我儘に付き合ってしまう。
しばらく緑陰の下で2人は寄り添っていたのだった。
end
>>BACK
朧ろ気な輪郭、
ただ一人の言葉で定まる
|