毛利の主、元就の部屋にはいつしか大き葛篭が置かれるようになった。
人々は顔を見合わせあれは何だと噂するが、誰にもわからない。
「死体でも入れているのでは」
主の非情さを揶揄する言葉は、しかしあながち冗談と聞こえない。
言葉にするのも空恐ろしいと、次第に人々の口に葛篭の事はあがらなくなった。
そして元就は誰にも、この葛篭を触らせなかったのである。
誰かの罪を焼き焦がすように、空は茜に染まっている。
人払いを済ませた部屋は静謐で、元就が動き着物が擦れる音だけが目立った。
部屋には元就と葛篭しかない。
その葛篭をゆっくりとなぞれば、ざらざらとした感触が指に伝わる。
元就はまるで大切なものを慈しむような手つきで、そっと蓋を開けた。
頭が一つに、腕二つ、逞しい胴一つに、足も二つ。
大方の予想通り中には人が入っていた。
ただし「死体」ではない。
虚ろながらその視線は生き人のもので、頼りなげながら呼吸もある。
つづらをなぞっていた続きのようにその半死人の頬をなぞる。
血の通うのを止めたような肌。つづらの底に広がる少し伸びた髪は、かつての銀の色から純白へと色を変えている。
隠していた眼帯も今は無く、日に弱い紅眼も何のてらいもなく、さらされている。
覆い被さるように元就が顔を近づける。
長い茶の髪が青白い顔に落ちた。
「そなたが悪いのよ」
頬から首へ、首から襟元へ手をかける。
着物の下のの胸板を辿っても人形はぴくりとも動かない。
元就は満足気に微笑む。
「我より天下を選ぶから」
葛篭からまるで人形にするような要領で、それを取り出す。
されるがまま、だらりと元就の肩にたれかかる。
それも仮に元就が身を引けば、すとんと物のように落ちるだろう無機質さでそれは在る。
――そなたが悪いのよ。
野心に火をつけ天下を望んだ長曾我部は、ためらいもなく同盟国である中国に戦をしかけた。
しかし長曾我部の奇襲も毛利の策の前に破れ、表向き元親は野心ともども消されたということになっている。
――ずっと我慢していたのに。
元親の、元親のすべてを自分の物にしたいと暴れ回る獣を自分は必死に飼い慣らしていたのに。
そなたが悪いのだ。裏切って、自分につけいる隙なんて与えたりするから。
鬼の後頭部に手をいれて、くしゃりと髪を握る。
その時初めて、人形は反応して微かな動きで言葉を発した。
「…も、となり」
その小さな囁きに元就の心は充足する。
もうそなたは、それ以外に喋る必要はない。
とっさに頭によぎった言葉の、なんと滑稽なことか。
元就は笑いだした。
馬鹿馬鹿しくて笑い出す程
泣きたい気分だった。
Fin
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箱の中の失楽
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