はらり、と。
薄紅の花片が、手元の杯の水膜に散って笑みを深くした。

「――10回目」

杯を煽って、正面に向かって穏やかに微笑む。

「かように花見をするのも、もう10度目になるな」

元親。

琥珀の視線の先に、彼の人の姿はない。杯と燗が並んでいるだけである。
しかしその杯は、元就と揃いのものであった。嬉々として揃いの杯を寄越した男に、恋仲の若人でもあるまいにと馬鹿にしたものであった。しかし、男が去ってからも手放さないどころか、毎年このように並べている己の女々しさは男の比ではなかったかもしれない。
杯を置く腕は、あの頃より張りを失い、うっすらと皺が刻まれている。

「我の愚かさ。そなたは気づいていたのであろうな」

その腕を隠すように懐手にして語りかける。

元親が自分に熱を入れるのは、自分が振り向かないからにすぎない。
振り向けばたちまち、元親の熱は冷めるだろう。
そう考えていた自分の、なんと言う卑小さ、臆病さ。幼稚さ。

――もし我がそなたに応えていたら、そなたはどんな顔をしたか何と言ったか…

見そびれてしまった顔も、聞き損ねてしまった言の葉も、永久に手にする事が出来ない。

それを手に入れることが自分の一番の望みだったと、認めたときにはすでに男は土の中で眠ってしまっていた。

「……失策ぞ」

ぽつりと零せば、胡座を崩して立ち上がる。

花盛りを迎えた桜並木を一人、歩く。

あの男と出会って、たくさんの苦しみを知った。痛みを知った。
果ては胸を抉るような絶望でさえ。
けれど苦しみを知らなかった昔よりも、苦しみを知った後の方が幸せなのだ。
今だからこそわかるその答えに、元就は苦笑にも似た暖かな笑みを漏らす。

――頑迷な我に、よくもまぁわからせたものよ。


さぁっと一陣の風が駆け抜け、小さな花弁が頬を掠めていく。

目を細め、燦と輝く日輪を仰ぐ。



――嗚呼

「そなたは我の救いだったのだな」




Fin


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さくら散り、舞い落ちなる。