険しい山道を抜け、枝をかき分ける。
そこに石と石の間にすっぽりと、まるで白い鞠のよう体を丸めている子供を見つけた。

『やはり此処におったか』

声をかければ、子供はぐずくずと銀の睫を涙で濡らしながら顔を上げた。




緑陰の下。

繋いだ手のひらも

交わした言葉も約束も

もうお前は覚えてはいまい。






海賊の勝ち鬨と言うものは、粗野で煩く不愉快になる。
元就は跪きながら、顔を歪めた。

「なるほど、アンタは確かに知恵が回るかもしれねぇ」

元親は顔をしかめている。それを黙って見上げる。

「だがな。船ってのは1人じゃ動かすことは出来ねぇんだぜ。どれ程知恵が廻ってもそのことを知らねぇんじゃ、海の上で戦をする資格はねぇな!」

元親の言葉に反論しながらも、元就は内心笑いをかみ殺していた。

(この我が。まさかあの腑抜けにかように偉そうな説教をくらう日が来ようとはな…)

実を言うと元就は、この目の前の男と幼き頃に会っている。
安芸と土佐で結ばれていた関係で元就は兄に連れられて四国の地を踏んでいた。そこで出会ったのがうつけ者と言われ始めていた長曾我部が長男、弥三郎であった。
だが元親は元就を覚えていない。二人の間には五つの年の差が開いている。元就も幼かったが、元親はもっともっと幼かったのだ。記憶に無いのも無理はなかった。

そしてたった今、毛利は長曾我部に負けた。
敗因はわかりきっている。正真正銘の油断。この男より自分が劣るはずはないと愚かに驕って、無様に負けたのだ。

「…まぁこの鬼に喧嘩を売った時点でアンタのご自慢の知恵とやらも、たかが知れたもんだがな」
「…喧嘩だと?」

自分の迂闊さに腸を煮やしながら、元親の言葉を聞き咎める。

「…海賊相手にそのようなもの売った覚えないのだがな」

(貴様に我が喧嘩を売るだと…?)

一瞬、長曾我部と毛利を争わせるたも誰かが仕掛けた罠ではないかと考える。
それほどにありえない。
しかし話を聞けばそれは間接的なもので、特別長曾我部一つに狙った訳ではなかったが、身に覚えは無いかと言われれば否定は出来ない。
何故そんな策を仕掛けたのかと元親が問う。仕方無しに元就が説明してやっても、元親にはまったく通じないようで感傷的なことばかり言う。

「何を甘いことを、貴様こどきに為政者の何がわかる?統治者に必要なものは義や情ではない。すべては一つの駒にすぎぬ」

「――寂しい男だなアンタ。」

「――!!」

「まるで独りぼっちじゃねぇか」

息が止まった。
凍りついた胸に懐かしい声が遠くから響いた気がした。

「…我を殺すか?」
「あぁ」
「…フ、それも構わぬ」

実際元就の心には、屈辱と共にこれでやっと終わるのかという安堵も確かにあった。
だがそうなる前に鬼に教えなければならないことがある。

「だがな。我を殺せば必ず後悔することになるぞ」
「どういう意味だ?」
「貴様の忌み嫌う我の存在が、西国を守る防波堤となっていたのだ」

(……我は約束を守った)

元親が元就の話に注意を引きつけられる。
顔を見せた僅かな隙。

元就は即座に動いた。握る曲刀。閃く太刀。

しかし元親の首は飛ばなかった
肩を揺すって笑うと、こぼりごぼりと真っ赤な血が口と腹から溢れた。

「所詮は…我も…戦国という盤上に置かれた…駒の一つか…フッフフ…」

腹を貫く堅い鉄の感触を感じながらわらう。

溶けかける意識で元親の声が聞こえる。

「まだだ!まだ寝るんじゃねぇ」

元就は最後の力で口角をあげる。


(…そなたも約束を守ったな

                    ……弥三)








泣きじゃくって足にしがみついている若子の髪を、松寿丸はといてやる。

『…こわい…ひっぐ…こわいよぉ…!』

『これだけ泣いてよくぞまぁ涙が枯れぬものだな。いっそ感心する。――もう泣くでない。そなたは我が守ってやる故』

『……ほんとう?』

『―――、あぁ』

本当は自分の言葉に、自分が一番驚いていた。
ただ嘘だと撤回してしまえば、また若子の涙が溢れてしまうので言えなかった。
後にこれが一番の失策だったと松寿丸――元就は悟ることになる。

『じゃあ、やくそく!』

弥三郎の泣き顔が解けて、ふにゃりと笑顔に転じた。
松寿丸は身を屈め、目線を合わせて弥三郎の小さな両肩を掴む。


『…だが、そなたはこれから強くならなければならぬ。あぁ確かにそなたは我が守ってやろう。しかし我の住む安芸と此処は遠い。傍にいれない時の方が長いのだ。強くなる、それ以前に独りでいることに慣れなければ。敵を滅ぼし、味方の中の蛆を断つ。敵を切り味方を疑う。それがそなた、国主の仕事なのだからな』

『でも、それはさびしい』

『―――』

『松寿丸もひとりなの?』

なぜ自分は明確に否定出来なかったのだろう。
その時は尊敬している兄も存命だった筈なのに。松寿丸は何も答えられなかった。

『松寿丸!』

俯いて視線すら逸らした松寿丸の名を若子が呼ぶ。

『やくそく!』

『約束?』

訳が分からず狼狽すると、弥三郎がにっこりと微笑む。

『弥三がそばにいるよ。松寿丸といっしょにいるよ。ただ松寿丸が言ったみたいに弥三と松寿丸のおうちはとおいから、ずっといっしょにはいられないけど』


その笑みは
まるで花が綻ぶように、日輪の光のように一点の曇りなく無垢に輝いて

その美しさに松寿丸は魅入られて縛られてしまった。



『けど、松寿丸のさいごのときだけは、ぜったいひとりにしないよ。
弥三がそばにいるよ!』


――やくそく。




Fin

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