庭先で男が歩いていた。
男の極度に色素の薄い髪が日の光に溶けてしまいそうだった。
名を呼んで振り向かせた男の表情に、胸が軋む。
いつからそんな下手な笑顔を見せるようになった。
そう怒鳴りつけそうにる衝動と、不思議な安堵感を元就は覚えた。
もともと元親が自分以外の誰かと話すのが、触れるのが、目に止めるのが溜まらなかった。
それは、ともすれば独占を越えて支配欲ともいえた。
しかし凶暴なそれは、以前までは元親の広い懐によって巧く受け流されていたのだ。
だが天下が人の手に渡ってから。元親の嫡子が戦死してから、いつしか二人の均衡は崩れつつあった。
四国から逃げ込むように訪れた元親を毛利は追い返さかった。
そして元四国が主の長曾我部元親が毛利の屋敷に滞在するようになってすでに半年の時が流れていた。
――均衡が崩れ始めているのは、元就を引っ張っていた元親が、逆に元就に引っ張られはじめたからだ。
元親の様子を眺めながら、元就の胸には暗色の期待がくすぶっている。
獲物の様子を見て、機が熟したことを知る。
あぁ、きっと今望めば。
元親は我にすべて空け渡すに違いない。
□ ■ □
たてた茶を元親に差し出す。
「鬼の目を我にくれまいか。」
日輪は天中に座し燦々と輝いて居るにも関わらず、茶室はうっすらと暗い。
緑が生い茂る庭園では蝉が、散る命は今日よ明日よとばかりに必死に泣き叫んで居る。
「…お前が望むなら」
茶に口をつけながら、元親が伏し目がち答える。
元親の声には以前のような覇気がなかった。
すべて放り出してしまったような、投げやりな口調だった。
ならば。
元親が元親をいらないというのなら、自分が貰い受けるまでだ。
そろり。
彼にしては珍しくもゆっくりと元親に近付く。
元親は目を伏せたまま動かない。
そろり。また一歩元親に近付く。
元親は微動だにしない。
元就が目の前に来てようやく、元親が瞳を開く。
青い瞳。
眼帯に隠された左目は幼少時に失明している。
だから鬼はずっと残された青い瞳だけで世界を見ている。
この海の色をした瞳が元親と世界を繋げている。
元就の手がそっと元親の頬に触れる。
元親はそっと目を閉じる。
瞼の上に指を置く。
丸い感触がある。
ぐっと力を込める。
元親は声すら漏らさない。
さらに力を込めながら、元就は考えた。
自分は今笑っているだろうか、それとも顔色一つ変えず氷の面のままなのだろうか。
すぐにその思考を振り払った。
何にせよ自分の心が狂気の色に染まっているに違いなかった。
指の下で何かが弾けた。
銀色の睫毛から赤黒い液体が零れる。
瞬間、元就は悟った。
鬼の目が消えると同時に
この世から、毛利元就もまた、消えたのだ。
Fin
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喪 失
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