6.



法廷というのは、昔写真で見た闘技場に似ている。
エル・ジェムの円形闘技場。何層にもなった階段席に座した観客が、中央で剣を交える剣闘士に歓声をあげる。
現に今も目の前で、舌鋒が鋭く交えられていた。



「被告人の行為は、幼い子供から父親を奪った残虐極まりない行為であり、刑法一九九条。殺人罪に相当することに疑いないと思われます」

髪を高く結い上げた女性検事が、淀みなく冷ややかに訴える。


「弁護人は、この殺人はきわめて偶発的かつ突発的なものであることを主張します。また被告人があのような行為に至ったのはすべて被害者から求めに応じてしたことです。

よって弁護側としては、普通殺人ではなく嘱託殺人を主張するものであります」


一方弁護人は小さな体に似合わぬ大きな声を張り上げる。弁護人はくりっとした瞳の愛嬌のある男である。
さらに彼は「尚この事件は我が国初の同性愛の痴情事件であり、今後のために、より慎重な審議のほどを願うものであります」と付け加えた。





「検察側は、被害者の妻と、同僚を証人として申請したいと思います」

女検事の言葉に、弁護人は「然るべく」と応える。


「弁護側は、被告人の元教官と、友人を証人として申請したいと思います。」

弁護人の言葉に、検事が「然るべく」と応えた。


「「しかるべく」」






一回目の公判をつつがなく終えて、二回目の今日からは証人尋問が始まる。
傍聴席を立ち上がり廷吏に導かれる証人に、元親は頭を下げた。
彼は元親に向かってニッと人好きのする笑みを送った。
証言台に立ち、弁護人の質問に答える。

「始めにお名前は?」
「島津義弘」

ずんぐりむっくりの体型に、厳つい顔。
元親が教えを乞うていた時から、その姿は少しも変わらない。

「あなたと被告人の関係はどのような?」
「元教え子じゃ。そいつが建築家なんて転科する前、土木科にいたころはワシが教えとった」
「被告人とは親しい仲でしたか?」
「おぅ、そやつは面白い男たい。一年の頃からよく飲みに行っとった」

弁護人は少し慌てたように注意する。
後ろに座る弁護側の助手も、額を押さえた気配がした。
元親はぼんやりと、未成年飲酒も懲役に追加されるのだろうかと考えた。
弁護人は話の方向を変える。

「被告人は優秀でしたか?」
「そりゃ優秀も優秀と!今ワシの研究室にいる童っぱは全員かなわんとよ。その男は抜群に勘が良か。天性のもんたい」
「では、学業態度も真面目でしたか?」
「いや遅刻は多かった」

正直である。
弁護側は元親の人格を裏付ける証言を望んでいるのはわかったが、これでは先が思いやられる。
しかしなんとか「人望が厚い」「気さくで朗らか」等の言葉が得る事が出来たようだ。

「最後に、あなたは被告人が土木科から建築科へ転科した理由をご存じでしたか?」
「全然知らんかった。才能もあったしもったいなかとと思ったが…好いたぁ人追いかけて転科だったとはのぅ」
「ありがとうございました。裁判長私からの質問は――」
「ちょっと良いかね。質問ばっかで飽きたと。こっちからも質問したいんだが」
「いっ、いや島津さんそれは…」

「なんであんたらは、人の色恋にこんな首突っ込んでるとね?」

島津はまったくわからないといった調子で、きょとんと聞いた。






2人目の弁護側の証人が現れた時、ほぉっと傍聴席が息をついた。
右目を眼帯で隠しながらも、その顔は美しく、一目を引く華やかさを持った青年。
元親だけが怒ったように、がたりと席を立ち上がろうとしたが、左右の刑務官に押さえつけられた。

「お名前は?」
「伊達政宗」

フッと口角を持ち上げた笑みは、生気に溢れ魅力的だ。

「被告人との関係は?」
「高校からの友人」
「あなたのご職業は?」
「――建築会社、社長」

傍聴席がざわめいた。この法廷内に誰もその名を知らぬ者はいないだろう大会社。
その社長が現在最も耳目を集めている――多分にスキャンダラスな――殺人事件の容疑者の友人だと告白さたのである。
顔を歪ませる元親とは対称的に、弁護人は満足気に頷く。

「貴方は被害者と被告人の関係を依然からご存じでしたか?」
「…あぁ」
「2人の関係をどう思っていましたか?」
「…最初は応援していたさ。腹ではくっつくなんてありえねぇと思っていたからな。冷酷、厳格、他人を寄せ付けない氷みてぇな毛利センセーと、真夏の太陽みてぇにぽかぽか頭溶かして、いつもダチに囲まれてる元親…反発ならともかく愛だの恋だの言うには真逆すぎる。それに毛利には、かみさんも子供もいた。どんなに行き着いたって、それが留め金になってそれ以上進む訳がねぇ。そう、思っていたからこそ、2人がくっついたって聞いた時は焦った。マズイと思った。一番の留め金が外れちまったんだ、どうなっちまうのかわかったもんじゃねぇ…」

「貴方は2人を止めましたか?」

「止めたさ。片や大学の看板教授、片やそいつも資質がある学生で。何事もなければ2人とも将来は約束されていたはずだった…それに、2人は危うすぎた。真逆だからこそ際限なく貪りあって、燃え上がって、まるでたんまりと弾薬を詰め込んだ火薬庫みてぇに、少しの火でもぼんと爆発しちまうような危うさがあった…。止めたさ何度も。元親も毛利も、けれどそこの馬鹿は人の話は聞かねぇし、毛利だって…嫁さんと子供のことを言っても聞かなかった。理はこっちにあったのに、奴は聞かなかった。あの理屈一番の毛利がだぜ?それどころか、あの鉄筋より厚い鉄面皮が元親と同じ笑顔を見せやがる。それで俺は…諦めちまった。」

伊達は深い翳りを刻んだ笑みを浮かべ、ゆるく頭を振った。


「――では、最後に何か言っておきたいことは?」
「そいつの良いところなんて、前の島津のじじぃに全部言われちまった。陰口悪口の類なら1日じゃ足りねぇが、面倒だから勘弁だ。まぁ俺があと、言ってやれることと言えば」

元親が制止する暇はなかった。
おもむろに伊達が右目の眼帯を外す。


「俺のこの瞳を見て、態度を変えなかったダチは、そいつだけだ」

晒された伊達の右目を見た者は、一様に息をのむ。
しなくても良いのに、伊達は後ろを向いて好奇心に身を乗り出していた傍聴席にも瞳をみせつける。
常から隠された、その瞼の下に眼球はなく爛れている。
脅えてすくむ観衆が元親にはわからない。
何が問題だというのだろう。彼の左目には紛れもなく知性の光が輝いているし、右目がどうなっていようと、その男はその男だ。
人を馬鹿だなんだといいながら、その馬鹿のために己の社会的立場をかえりみず証言台にたつ大馬鹿だ。
否その傷をもっているからこそ、この男の今の情の深さが成り立っているのかもしれない


元親の視線を受けて、皆より一拍早く我に帰った弁護人が「私の質問は以上で終わります。」と声を張る。裁判長がやや緩慢に頷いた。

「検察側は証人に質問したいことはありますか?」
「はい」

未だ動揺を引きずる一同の中で、背筋をぴん、と立てた検察官が颯爽と証言台に立つ。

「貴方は被告人と、随分長いおつき合いのようですが…」

ちらりと検事が元親を見る。

「被告人の同性愛の嗜好はご存じでしたか?」
「……女の方が圧倒的に多かったが、少しだけ男と付き合っていたのは知っている。高校の頃だ。――それが何か問題あるのかい?」
「では知ってたんですね?」
「あぁ」
「貴方と被告人と肉体関係はありませんでしたか?」
「…なに?」
「被告人とセックスした経験は?」

瞬間、伊達のふりあげた足が証言台をけやぶるように思われた。
だが、寸前でゆるゆると足が下ろされる。

「ありません」

伊達の証言台に押し付けられた拳が震えている。
押し殺した声に、さらに追い打ちがかかる。

「お気に触ったのでしたら失礼。ただ今回の事件からは、被告人の倒錯的な趣味が多分に感じられるので…」

検事が唇に手をあてる。

「貴方のその右目も、ベッドの中で被告人にと思いまして…」
「政宗!」

元親は叫んだが、到底伊達を止められない。

「もう一度言ってみろ!」

伊達は女検事の襟首を掴んで恫喝している。
元親ですら見たことのない憤怒の形相。
空気を揺るがす程の怒気は、刑務官の足を床に縫い止めたが、それも一瞬だった。

「sit!ゲスなことばかり…クズなことばかり考えやがって…!」
「静粛に!」

裁判長の注意は何の意味もなさない。
刑務官に羽交い絞めにされながらも、伊達は傍聴席のマスコミに噛み付く。

「くだらねぇ記事しか書けない低脳ども!金と好奇心だけで人の傷に腕つっこんでズカズカと…人の不幸にだらだら涎垂らした下品な顔しやがって、満足かよ!てめぇら人間様の羞恥心は何処に置いてきた。この猿どもが!」
「政宗様!!」

彼の秘書が、傍聴席から転がるように飛び出してくる。
拘束されて尚もがき、足をばたつかせ、耳を塞ぐような罵詈雑言を吐き続ける。
伊達がずるずると引きずられて、とうとう外へ連れて行かれた。
前代未聞の証言に法廷は騒然となった。
元親の後ろの弁護側の助手が頭を抱えている。
元親はそれとまったく違った意味で呻いた。

「静粛に!これは神聖な審議です。検察側は主観的な推測を慎むように!」

遅すぎる裁判長の注意に「申し訳ありません」と女性検事が頭を垂れる。
下げた頭の下で、彼女は薄く笑っている。
次の瞬間彼女が元親に向けた顔には、あらゆる嫌悪と軽蔑がべったりと張り付いていた。
これが今、世間が自分に向けている感情か――。という感慨は伊達への心配よりも軽い。
そんなことよりも、次の裁判長の言葉が、元親の胸にずしりと鉛のようにのしかかった。




「本日の審議はこれまでにします。次の審議は被害者の配偶者の体調が回復しだい、開廷します」