義弘が佐土原の城に訪れた。
突然の来訪を歓迎しながらも驚いていると、義弘は直政に話があるのだという。
何故か入室することを許されなかった豊久は憮然とした表情で部屋の前に待機した。
島津家当主と、徳川の重臣との会談である。内容は政治的なものであろうと思うが、豊久は義弘の様子に違和感を覚えていた。
まんじりと待ち続けていると、やっと襖が開いた。
部屋から出てきた義弘に声をかけようとするが、予想だにしない彼の張り詰めた空気に怯む。
思わず立ち尽くす豊久の肩をぽんと叩く者がいた。

「ちょうど良かった。俺とこれから出かけてくれ」
「はっ?」

見ればすぐ傍で直政がいつもの阿呆面を下げて笑っている。
こちらは表情に暗い影など微塵もない。
冗談じゃない。豊久はその手を振り払って義弘に何があったのか問いただそうとした。
だが。

「豊久。井伊殿の言うとおりにせよ」

こちらを向いた義弘にそう言われては直政を無下には出来ない。

「…それが伯父上のご命令であれば」

豊久は苦々しい顔でそう答えた。




何処に出かけるのかと思えば、なんてことはない佐土原城の近辺を散策するだけであった。いつぞやの薬草探しと同じだ。
どこまで歩くのだと怪訝に思っていると、くるりと直政が振り向いた。

「島津、笑え!!」

相も変わらず突拍子もないことを言い出した直政に一瞬豊久は反応が遅れた。
だが次の瞬間には「ふん」と鼻を鳴らし「何を言っている?」と答えていた。
多くの者が怯える冷ややかな反応だったが、直政にはまったく堪えなかったらしい。彼は胸を張って説明した。

「石田三成が言っていたのだ。お主の笑顔を一度だけ見たことがあると。石田三成が見たことがあるのに俺が見たことがないとは、なんたる不平等。なんたる不義!ということで笑え!!」

「そんなバカバカしい理由で笑えるか!」

そう強い口調で言い返した後、豊久は厳しい表情を一転させて皮肉気に笑った。

「"お前のことが嫌いだ"と言いながらだったら、曇り一つない笑顔を見せてやっても良い」

そう言った途端、直政はこちらが戸惑うくらい目を見開いて驚いた。

「島津は俺のこと嫌いだったのか」

豊久はいつも通り直政はこちらの意思など気に留めず、自分の都合の良いように言葉を解釈するのだろうと予測していた。
故に、豊久は直政の反応に正直面食らった。
だが豊久の性格上自分の言葉をおいそれと引っ込めるわけにはいかず、「違う」などと否定することは自尊心が許さなかった。
結果、豊久は直政から視線を逸らしながら言葉を重ねた。

「今さらなにを…嫌いだ。お前なんて」

「そうか、嫌いか」

その時直政は不思議な笑みを浮かべた。
直政の暑苦しい性格に似合わぬ、凛とした涼しげな微笑み。
その笑みは彼の表面的な美貌には恐ろしく似合っていたが、彼の性質とはまったく異なる気がして、豊久に漠然とした不安を抱かせた。
豊久がなんと言葉を繋げたものか迷っていると、直政はいつもの馬鹿面に戻って「さぁ戻るか!」と歩き出した。


だが佐土原城に戻ると、ここでも予想外のことが起こった。
直政がいきなり世話になった、帰ると言い出したのだ。

彼は言葉通りその日のうちに佐土原を出発し、佐和山へ向かった。
直政を引き止める理由など持たない豊久は、突然のことにただただ呆然としながら彼を見送ったのだった。







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