一際大きな洋館。門を開ければ懐かしさがこみ上げてきた。

「久しいな」

通された部屋にその男は居た。今時珍しい葉巻をくゆらせる姿にはとても貫禄がある。
徳川家康。――企業家として今現在の日本の五指に入る著名人である。

「…ご無沙汰しています」

豊久は頭を下げた。

「今日は直政についてお話したいことがあって参りました」
「聞こう」

家康は豊久に座るように目で伝えた。

「直政を解放して下さい」

家康は目を細め、煙を吐いた。上等な代物なのだろう。香りは強いが、品位はまるで損なっていない。

「なぜ」
「父親が子供に手を出すなど」
「一般論か?」

至極つまらなそうな反応に、くっ、と一瞬だけ豊久は息を詰まらせた。それと同時に目の前の人物への憎しみが噴出しそうになる。
いかに直政が納得していたとはいえ、養育者の立場にあるものが子供に肉体関係を求めるなど――権力をふりかざして無体をしいたようなものではないかという怒りが拭いきれない。
豊久は大きく息を吐く。怒りの熱を一時的に外に出して平静を取り戻し、家康を真っ直ぐ見る。

「――俺が嫌なんです。母親の代替として直政が抱かれるなんて耐えられない」

家康が片眉をあげる。驚いた、という表情に見えた。

「母親の代替……?直政がそう言ったのか?」

えっ?と豊久が問い返す暇はなく、なるほどなと家康は頷く。

「最初から勝負にもならなかったということか……」

家康は目を閉じ皮肉げに笑った。
その時豊久の目は家康の後ろにある写真立てを捉える。
緑陰の下で微笑む女性の目鼻立ちで、すぐに豊久は彼女の正体を悟った。
だが。
――…似ていない。
端正な顔の作りはそっくりなのに、雰囲気がまるで似ていない。溌剌として意志の強さを感じさせる輝きを持つ直政と、触れたら壊れてしまいそうな儚い空気を持つ彼女。
これは、つまり――と考え始めた豊久の思考を打ち切るように、それは潔く告げられた。

「わかった。直政を解放しよう。これはその餞別だ」

二人を挟むテーブルにぞんざいに出されたのは高級マンションのパンフレットとカードキー。

「そのマンションの一室を好きに使えと伝えてくれ。生活費などの経済援助は変わらず続けるが、今後一切直政に会わないと約束しよう」

あっさとした承諾とぽんと出された住居に豊久は束の間言葉を忘れた。何故こんなものがすぐに出てくる。
豊久が驚いている間に立ち去ろうとした家康を、慌てて引き止めた。

「直政に会わないなんて言わないで下さい」
「ほう…?」
「あいつが泣きます」

家康が愉快そうに声をたてて笑う。

「…面白い男になった。島津豊久。お前は直政が好きか?」
「ふん、好きじゃなければここにいませんし。本人納得済みの他家の事情に殴り込みなんてしません」

豊久はいつもより輪にかけてぶっきらぼうに言い放った。
その子供じみた反応に、家康は腹を揺らした。




***




静まり返った部屋で家康が一人葉巻をふかしていると、がちゃりとドアが開いた。

「だから言ったでしょう?」

家康はちらりと入室してきた妻の顔を見た。
彼女はずんずんと歩を進め、前と変わらない台詞を言った。

「私があなたを幸せにして差し上げます」

一代でトップ企業を築きあげた家康と脈々と続く財閥の令嬢である勝子の結婚はおおかたの見立てに反して政略結婚ではなかった。
海外のパーティで出会って以来、勝子が熱烈にアプローチをかけた故の――つまるところ発端は一目惚れだったのである。
その時のアプローチの最後の決め台詞が件の台詞である。
家康は少し思案するように目を細めたが、ふっと息を吐いて口元に微笑を浮かべた。

「そうだな・・・。再度頼むとしようか」

家康は勝子の頭を撫でる。
彼女は至極幸福そうにはにかんだ。







10.2.28

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