4月。
豊久は進学することになった大学の門をくぐった。
着慣れないスーツが気になり、何度もネクタイを直しながら歩く。
校内には同じスーツ姿の新入生で溢れ返り、あちこちで親と記念撮影をしている光景が見受けられた。
喧騒と桜とカメラのフラッシュ。その場を構成しているのはそのようなものだ。
豊久は雑踏の中を油断なく見渡しながら歩く。
ある時を境に豊久には、そういう癖が身についていた。
人混みの中に彼の姿がないことを確かめては安堵して。それでやっと歩む事が出来る。
だが安堵と同時に微かに胸に沸くものがあることに豊久は気付いている。
あの時から彼を憎んでいる。
誰よりも憎んでいる。
だが彼の姿が見られないことに落胆している事実はどうしようもなく、豊久に忸怩たる思いを抱かせた。
彼の姿を捉えることを恐れながら、彼の姿を渇望しているのか。
――会った所で何も出来まいに。
そう思えども、警戒と安堵。期待と失望という二律背反を繰り返す。そうやって神経を磨り減らしながら月日を過ごした。
疲れたな。これまで積み重ねて来た感傷の数に重い溜め息をついて、また前を向けば昨日と何ら変わらない日常がある。
大学に進級したところであまり変わらない。この頭蓋にへばつりく苦しみが晴れない限り、この目が映す景色はどれも濁っている。
豊久とて現状を打破してくれる出来事を期待しない訳ではない。だが大き過ぎる期待はリスクも大きい。
人混みをすり抜けて入学式が行われる大ホール前に辿り着いた。
しかし入口のすぐ横には不自然な人だかりが出来ている。
人だかりの大半は女性だ。中には携帯や手持ちのカメラを取り出して撮影している者もいる。何が楽しいのか甲高い黄色い声まで響いている。
さして興味はわかなかったが、通行がてら豊久はそれを見た。
どうやら桜の木の下のベンチでホームレスよろしく男が寝ているようだ。
スーツ姿ということは同じ新入生ではないのか?だとしたら呆れたものだな。
しかしそうした思考は、彼の顔を見た瞬間に立ち消えた。
まるで視界から、強い物理的な衝撃を受けたかのように立ちすくむ。
逃げなければこの場を去らなければ。焦る心とは裏腹に彼から目線を逸すことが出来ない。
――はらはらと薄紅の花弁が舞い散る下
一人の男が眠っている。
色は白く、髪はさらさらと風に流れ、薄い唇は仄かに開いている。
その端整な面差しは同年代の女性の審美眼を充分に満たすほどの美しさを備えていた。
喉が酷い渇きを訴える。
豊久は小さく掠れた声で呟いた。
「……直政…」
何の悪戯か豊久の呟きが聞こえたかのように、ぴくりと彼の長い睫毛が動いた。
ゆっくりと瞼が上がる。
鈍い動きで周囲を見渡す。何故自分の周りに人だかりが出来ているのか理解が出来ていない。寝ぼけているようだ。
彼はぼんやりとした視線で周囲を見渡す。
その時、豊久と目が合う。
ぱちり。
直政の瞼が瞬く。そして満面の笑みを浮かべた。
「よぉ!島津久し振り!」
それが3年越しの親友の再会だった。
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09.07.20
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