豊久は大学内にある弓道場に向かっていた。
直政が意外にもサークルを弓道部を選んだというのは、すでに本人から聞いている。
時刻は遅く大学の閉門時間が迫っていた。ある予測を持って戸を開けてみれば、案の定そこには直政の姿しかない。
ほっとしながらも、つきりと胸が痛む。直政が最後まで残っていると予想したのは、彼の体に赤い鬱血があるのではないかと思ったからだ。体にあからさまな性行為の痕があれば、流石に直政も人前で着替えることを躊躇うだろう。
とうの直政は的に集中しているらしく、豊久の入室に気がつかない。
豊久は密かに彼の姿に見惚れた。すらりとした長身、ぴんと伸びた背筋に白い袴が映える。普段の騒がしさはなりを潜め、横顔は凛として的を一心に見据えている。
引き絞った弦から、ひゅんと風を切って弓が離れた。
矢は中心よりかなり下の方に当たった。

「さすがだな」

思わず豊久はそう評した。
大学から初めてもう円内に入るようなら、それはもう驚くべき資質だった。

「あれ?島津?」

直政は驚いたように振り向く。それから「どうした、こんな所へ?」とにかっと笑う。
その眩しい笑顔から少し視線を逸らして、直政の弓を奪う。

「貸せ」

すぐに歩幅を広げて、瞬時に狙いを定める。
放たれた矢は中心より、わずか下に当たった。

「惜しい!」
「そうだな、もう少し上だな」

淡々と答えて、もう一度弓を構える。
ぎりぎりと弓を引き絞って、今度は慎重に狙いを定める。
集中が頂点に達した時に射た矢は、吸い込まれるように的の中心に刺さった。
直政は歓声をあげる。豊久は一つ息を吐いた。

「この弓はあまりしならないから、狙いより下に矢があたる。中心より上を狙え」
「さすがだな!島津」
「べつに。親戚で弓道をやっている人がいて、時々練習させて貰っているだけだ」
「親戚がやっているからって、インターハイ二位になる奴はいないだろ?」

弓を返しながら、豊久はぎょっとした。

「知っていたのか?」
「惜しかったよな、あれ。あの時的の側で鳥が飛ばなかったらお前が一位だったのに」
「・・・・・・いや、的に集中しきれなかった俺が未熟だっただけだ」

答えながら豊久は激しく動揺した。

――いたのか。
あの場所に。高校の公式試合に。
自分が戦っていた、あの場所に。
直政は来ていたのか。
だが何故か豊久は確かめることが出来ず、代わりに違う問いを口にした。

「一つ聞いて良いか?」
「あぁ」
「・・・お前今、付き合っている女性はいるか?」
「はぁ? なんだいきなり?」

直政は弓を構えながら素っ頓狂な声をあげる。
かまわず豊久は「どうなんだ?」と言葉を重ねる。そんな自分を滑稽だと意識の遠くで感じている。
直政は自然な動作で豊久から視線を外し、矢をつがえた。

「・・・・・・いないよ」

ぐっと思い切り弓をひき、離す。
パンっと小気味良い音をたてて矢は中央付近の的に命中した。

「いない」

直政は静かに答えた。
どこかひんやりとした声音に豊久は考えるより先に、口を動かした。

「何故、お前はこの大学に入った」
「質問は一つだけじゃなかったのか?」

直政がおどけて言うのに対し、豊久の表情はあくまで真摯だ。

「・・・全国模試一位の人間が来るところじゃないだろう、ここは」

今度は直政が驚く。

「知ってたんだな」
「順位表の一番上に名前があれば、嫌でも目に付く」
「そうかそうか、だから一番は良い!」

呵呵と満足げに直政は笑う。

「俺がここを選んだのは、家から近かったからだよ。高校の時は片道三時間かかったからな。三時間だぞ?往復したら六時間!一日の4分の1以上が終わるんだ。流石にあれは堪えたな」

確かに直政の通っていた高校は県外の山上に立つ高校だった。
全国のトップクラスの頭脳と財力を持つ子息が集まるその高校はブランド校として名が知られていたが、同時にその立地の悪さでも有名だった。
この大学の偏差値は決して低いものではないが、直政の高校の偏差値とは比べものにならない。

「・・・本当にそれだけが理由なのか?」
「島津は一体俺にどんな答えを言って欲しいんだ?」

無邪気に聞き返されて豊久は押し黙る。閉門を知らせるアナウンスが不躾に流れた。




09.12.23

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