ピッ、ピッと順調に検品作業を進める豊久だったが、隣から聞こえてくる溜息の回数が20を越えてくると、流石に口を開くしかない。
「…はぁ……」
「ふん、さっきから何なのですか。人の気を散らすために出勤したのですか、貴方は」
「はぁ……」
「……聞いているのですか!石田さん」
豊久が険のある声を出せば、三成はやっと我に返ったようだ。
「えっ、今、何か言いました?」
今度は豊久が溜息をつく。彼は眉間に皺を寄せ、こめかみを揉んだ。
「……またくだらないことで、悩んでいるんですか?」
「聞いてくれるんですか!?」
「これ以上陰鬱な顔を視界に入れるのは、たまったものではありません。仕方ないでしょう」
三成はぱぁっと表情を明るくする。
だが、いざ喋ろうとすればもじもじするものだから、豊久はきっと鋭く睨みつけた。
三成のつっかえつっかえの言葉を要約すると、こうであった。
彼の交際相手は体が弱く入院していて、その入院先に三成以外の男が頻繁に出入りしている。しかもその男は三成の交際相手の元恋人と疑わしき人物らしい。
――つまり三成は相手の心変わりを心配しているのだ。
「…俺は自分の生活費のためにバイトしなくちゃいけないし、大学にも行かなくちゃならないし――その間に二人が寄りを戻しているんじゃないかと思うと不安で・・・でもこんな風に相手を疑うのも辛くて…」
三成の声は段々と小さくなって、目にも涙が浮かぶ。
豊久は今度こそ深々と嘆息する。
「貴方馬鹿でしょう?」
「あっ、それはよく言われます。もう耳ダコのタコが踊り出す勢いです!」
三成はそこだけはやけにはっきりと断言した。だったらと豊久が言葉を繋げる。
「疑うのか信じるのか、どちらかにすれば良いでしょう。疑うなら相手にはっきりと聞いて。信じるなら何も言わず黙っていれば良いのです。貴方が二つの事を同時になんて出来るわけないでしょう。馬鹿なんですから」
三成はぼけっと口を開く。それからふわりと笑って「わかりました。相手を信じます」と言った。
豊久は思わず「よろしい」と教師のような口調で答えた。おかしい。自分のぽうが年下のはずなのに、どうしても図体だけが大きくなった子供の世話をしている気分になる。
「それにしてもそんなに頻繁になるとは…。貴方の彼女は随分な器量良しなのですね」
「えっ、彼女?」
「はっ?彼女じゃないんですか?」
予想外の反応に、まさか付き合っているのはデマだったのかと疑い、じろじろと彼を見る。三成ははっとして頭と手をぶるぶると振った。
「い、いえそうです!ちょー彼女です!!」
「超彼女……」
そのちんちくりんな単語に「超絶戦士彼女ーー」など、おかしなフレーズが脳裏をよぎって豊久は頭を抱えた。絶対授業前に幼なじみが一方的に話してくる内容の影響だと思う。豊久が人知れずショックを受けてる間に、三成は客に呼ばれてバックに入った。
入れ替わりに若い学生と見られる集団が来店してきた。枷の外れたけたましい声を疎ましく思いながら、豊久は物思いにふけった。
夏休みに入ってから、直政の顔を見ていない。
豊久達が通う大学の夏期休暇は実質的に三ヶ月近くある。本格的な授業は10月からにならなければ始まらない。
その間直政が何をしているのかと考え、どこかの男に抱かれているのかと、正門で待っていた年上の女性と会っているのかと想像すると嫉妬のあまりどうにかなってしまいそうに苦しい。直政から女性と交際していないと直接聞いていても、この夏休み中に何かが発展しどうにかなっているのではないかという不安は消えない。
同時に、直政と会わないと消えていたはずの憎しみが蘇ってきてしまう。
彼を憎みたくないという心は本心なのに、彼のすべてを許せるほど、豊久は己の自尊心を捨てることは出来ない。
慕う心も憎む心もすべて直政に向かっていく。豊久の心はぐちゃぐちゃに乱れて、自分が一体どうしたいのかもわからなくなる。
――自分は病気なのだ。
どんなに諦めよう忘れようと思っても、直政を消すことが出来ない。
それに比べて彼には心を通わせた体を繋げる相手も、あんなに綺麗な女性がそばにいるのに。
自分はこれからずっと独りなのだろうか。
途方もない不安が豊久の胸に広がった。
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09.12.30
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