豊久は食後の日本茶を啜っていた。
「豊久」
「はい、伯父上」
湯呑みを置き、伯父の方に体を向ける。
豊久の家の隣は伯父の義弘の家だ。さらに義弘の家の隣もまた島津家である。このあたりの土地は島津一族のもので、親戚の家が集まっている。そのおかげで親戚どうしの行き来が盛んで、豊久も週に何度か尊敬している伯父と一緒に食事をとることが出来る。
「紅葉狩りに興味はあるか?」
「・・・紅葉狩りですか?」
「左様。今度知り合いと一緒に登ることになってな。興味があるなら、豊久も来ると良い。知り合いの話しによれば、それは素晴らしい景色だそうだ。あぁ、誰か誘って連れて来ても良いぞ」
「ありがとうございます・・・」
誰を誘うかぱっと思い浮かんだのは、一番顔を合わせている三成である。
だが、しかし
――三合目まで登れたら御の字だな。
三成の非力さを何度も目にしている豊久は、そう断言する。
下手をすると途中で力つきた三成を背負って下山しなければならない。
「山登り」に来たのに、必死な「山下り」。一体何をしに行ったのか、わからなくなりそうだ。
そうなると、と思い浮かぶのは豊久と同等の体力と運動神経を備える幼なじみである。
だが
――直政を誘うのか?自分から?
たいしたことでもないのに、非常に高いハードルを感じる。
悶々と悩み始めた甥に、義弘は愛猫を撫でながら苦笑した。
******
教室についてから、豊久はそわそわとして落ち着かなかった。
水曜の共通授業。この時間に直政を紅葉狩りに誘おうと決めていた。
しかしいつもは早々に教室に登場する彼は、今日に限ってなかなか姿を見せなかった。次々に席が埋まっていく中で、豊久は苛苛とし始めた。
ただ紅葉狩りに誘うだけ。それなのに重い荷物を背負っているかのように疲れる。諾でも拒否でも良いので早く答えを聞いて荷物を下ろしたいのに、あの馬鹿は来ない。
――まさか今日休むつもりなのか?
そう疑いはじめた頃、やっとジャケットを翻して直政が現れた。教授が来るぎりぎりの時間だ。
直政は遅いと文句を言おうとした豊久の襟首を掴む。
「今日はこっちだ」
「はっ!?」
何がなんだかわからないまま、豊久は強引に一番後ろの席に座らされた。
隣に座った直政に理由を迫れば、彼は目を擦りながら答えた。
「今日提出のレポート、昨日の夜全部書き直したからな。たぶん今日はーー」
扉があいて教授が姿を見せた。直政は口をつぐみ、豊久もなんとなく理由を察したので黙った。
・・・予想通り。講義が始まって間もなく、直政はこくりこくりと頭を揺らしだした。
睡魔にあがなおうと、拳を握ったり、眉間を揉んだりと彼なりに抵抗したが、漕ぎ始めた船は止まらなかった。授業が始まってから20分後に直政は完全に机に没した。
「今日、自分から誘おう」という豊久の些細な決意は出鼻を挫かれた。空ぶった決意の処置に、豊久は疲れたように息を吐いた。 直政が寝入る背後の窓から、色づいた銀杏の木が見える。
午後の日差しを浴びて、直政の黒髪も白い頬もキラキラと光る。
すっと通った鼻筋、閉じた瞼を覆う睫は長く、唇はうっすらと開いている。
胸苦しさを覚えた。
彼を見ていると不安定な充足と、痛みを感じる。
直政に近づくのは怖い。近づけば心をずたずたに引き裂かれるから。
その痛みから目を反らしてしまいたいのに、気がつけば目は彼に惹きつけられしまう。
豊久の心をこんなに傷つけられるのは、尊敬している伯父と直政以外いない。
豊久はもう、心の奥底ににある己の本当の望みに気づいてしまてっている。
望みは純粋に彼を想っていた頃から、呆れるほど変わっていなかったのだ。
彼の「一番大切な人間」になりたい。
友達になりたいなんて嘘だったのだ。
本当の自分はもっと欲深だ。ずっと執念深く、あさましく願っている。
だがその望みは、叶わないのだと豊久は既に知ってしまっていた。
――「一番大切な人間」にあんな真似はしない。
直政の「一番大切な人間」は自分とは、別の人間なのだ。
その事実こそが、豊久の憎しみの根源。
臆病者めと、豊久は自らを罵った。
直政は同姓に抱かれている。つまり直政は男同士の恋愛に抵抗はなかったのだ。
男同士だからという理由で二の足を踏んでいる内に、他の男に奪われてしまった。馬鹿な自分。奪われる前に、勇気を振り絞っていれば。
見苦しい負け惜しみに情けなくなりながら、と豊久は丁寧に黒板の字を書き綴った。
終業のチャイムにも直政に起きる気配がない。
よほど睡眠不足なのだろうか、肩を揺らして起こそうとした瞬間。
「ああぁ!!!」
直政が奇声をあげてがばっと起きあがった。豊久はぎょっとして身をひく。
「授業は終わったのか?そうか、じゃあ島津またな!」
直政はがちゃがちゃと乱暴に筆記用具を鞄にしまって、疾風のように教室を出ていった。
呆気にとられていた豊久は我に返ると、ふつふつと怒りが沸き上がった。
なんなんだ一体。あんなに早く走り去って人を置いていくなんて失礼ではないか。
紅葉狩りのことは言い出せないし、せっかく作った今回のノートだって渡せなかったし、第一今日はまともな会話を交わしていない。唯一の共通授業なのに、いつもは授業後短くても二、三言は交わせるのに。
そんなに俺と一緒にいたくないのか。彼の中で自分との時間はそんなに価値がないのか。
むすりと不機嫌のまま階段を降りると、1Fのカフェテラスから直政が何かを抱えて走ってきた。
「あっ、島津!」
「…何だ、それは?」
「焼き芋!」
そういえば、テラスにある購買では少し前から焼き芋が売りだされていた。スーパーの前で見られるもので本格なものではない。だが一本80円という手頃な値段が生徒の間では好評をはくしている品だ。
「焼き芋の話しをしたら、父さんが食べたいっていうから俺はすぐに帰る!じゃあな!」
直政は生き生きと言い、フロアを走り抜けた。
その走りっぷりに、そう言えばこいつは重度のファザコンだったと思い出した。(かくいう豊久も重度の伯父コンであるのだが)
「あっ!!」
走っていた直政がこちらを向いて、持っていた袋をごそごそと漁る。
「島津にも1本やる!」
ぽんと放り出された芋は宙を舞った。
慌てて豊久はそれをキャッチする。
「…つ!」
――熱っ…!!!
焼き芋と言うだけあって、当然ながら物凄くほかほかだった。
無言で熱さに耐える豊久をよそに、「礼はいらんぞ!」と爽やかに言い捨てて直政は去っていく。
豊久は無造作に鞄に芋を突っ込んだ。鞄や鞄の中の教科書まで温まってしまうが致し方ない。次の授業が入っている豊久には食べる時間が無いのだ。
途端鞄が温くなったように感じながら、ふと疑問が浮かんだ。
――直政の相手って、結局誰なのだろう?
中学の時まで一番彼の近くにいたのは自分だったはずなのに、検討がつかない。
いつもはわからないものは仕様が無いと思考を打ち切るのに、何故かこの時は気になって仕方がなかった。
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09.12.30
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